佐倉さんへ
お返事ありがとうございます。
私の質問の仕方が悪かったために、私の尋ねたいことが佐倉さんへ伝わらなかった ようです。 佐倉さんは、以前の私の質問の解答の中で、
個人の生命に「始め」などありません。胎児も生命だし、受精卵も生命ですが、受 精前の精子や卵子も生命です。と答えていましたので、それでは、佐倉さんの中で、殺人と言ったときに、どこま でが含まれるのかを問いたかったのです(精子・卵子、受精卵、胎児、生後?)。
M.N.
「胎児かどうか」という区別は、ある生命体が「人間であるかどうか」を決める基準としてはまったく不適当です。
たとえば、犬の赤ちゃんが生まれる前に、母犬の体内にいるときは、それらは犬の胎児です。また、人間の赤ちゃんが生まれる前に、母体にいるときは、人間の胎児です。すなわち、「胎児」は犬の場合もあるし人間の場合もあるのですから、「胎児かどうか」という区別は、ある生命個体が「人間であるかどうか」を決めるためには、何の役にも立たない区別です。
犬の胎児は犬の胎児であって、生まれたら犬の赤ちゃんになり、成長しても犬のままです。同じように、人間の胎児は人間の胎児であって、生まれたら人間の赤ちゃんとなり、成長しても人間のままです。犬の胎児が人間の赤ちゃんとして生まれたり、人間の胎児が犬の赤ちゃんとして生まれたりすることはありません。
「胎児は人間か?」という質問は、たとえば、体重を量るのに温度計を持ってくるような根本的な誤りであって、二つの分類上の区別、すなわち、生命体の成長期間の違いを示す区分(胎児、幼児、成体、老体・・・)と、種類の違いを示す区分(人間、猿、犬、植物・・・)を混同してしまった誤りだといえるでしょう。
つまり、「胎児かどうか」という問題と「人間であるかどうか」という問題は無関係です。この二つの問題が混乱するのは、最初に指摘しましたように、ある特殊な宗教的ドグマの偏見(たとえば、「人間は神によってその肉体に魂を注入された瞬間に人間でないものから人間になる」といった種類の空想)を持っている人の頭の中だけです。