幸福の追求
Pursuit of Happiness
96年12月1日
最近いただいたお便りの中で、「余計なことですが真理より自分を幸せにしたらいかがでしょう」と言って、わたしの幸福について心配してくださる方がありました。わたしがあまりにも「真理」とか「真偽の吟味」とかを強調するからでしょうか。本論はそれに対するわたしの応答であり、別に他人に勧めるようなものではありませんが、読者の中には、同じような疑問や興味を持っていらっしゃる方もおられるかも知れませんので、ここに幸福に関するわたしの一考察を紹介します。わたしは、現在、幸福に関して考えることはほとんどありません。というのは、かなり昔のことになりますが、わたしは、幸福の追求は無意味であり不毛な努力であると気づいてしまったからなのです。
真理、論理、真理の根拠
Truths, Logic and the Foundation of Truths
97年9月12日更新
わたしたちは日常生活の中で、いろいろな事柄について「正しい」とか「誤っている」とか判断を下し、また、さまざまな知識を持っていると考えたりしますが、そういった、わたしたちの判断や知識には信頼すべき根拠があるのでしょうか。哲学者たちは、わたしたちが依って立つべき知識の究極的基盤となるものを求めてきましたが、かれらはそれに成功したのでしょうか。それとも、わたしたちの科学がそのような基盤を与えてくれるのでしょうか。あるいは、神のような絶対者に依存しなければならないのでしょうか。