佐倉さんのクローン人間が是か非かに関する考察は、科学と倫理・宗教の境界領域に関するものであり、非 常に興味を持ちました。 そこで、1つ同じタイプの問題で、佐倉さんはどのように考えていらっしゃるかをお聞かせいただければと 思い、メールいたしました。それは、1人の人間(すなわち、生命)は、どこが始めだと思われますか?(受精卵、Nヶ月の胎児、生後)

M.N.

1人の人間(すなわち、生命)は、どこが始めだと思われますか?(受精卵、Nヶ月の胎児、生後)

これが問題となるのは、アメリカ合衆国のような個人主義的キリスト教文化圏のなかで、女性の権利が話題になるときだけだと思います。これは<個人の生命は神によって別々に造られた>という宗教ドグマの欠陥の一つといえます。アメリカなどでは、「Nヶ月の胎児」になって、始めて、人間の生命だと認めるという、欺瞞的なことが行われています。

そんな宗教ドグマの外側にいるわたしたちには何の問題もありません。個人の生命に「始め」などありません。胎児も生命だし、受精卵も生命ですが、受精前の精子や卵子も生命です。精子や卵子それぞれの遺伝子も、父親と母親の生命体から受け継がれたものであって、それは、親の親から、そのまた親へと、いくらでもさかのぼれます。だから、どこから人間個体の生命が始まるか、という問いの方が間違っています。そして、その間違いは、<個人の生命は神によって別々に造られた>という宗教ドグマの間違いに起因しているのです。