ご無沙汰(「神の定義は? 知識とは?」(1)、(2)、(3)、(4)、(5))しております。
さて、「1人の人間の生命は、どこが始め?」の回答の中で佐倉さんは、個人の生命の始まりは無いと発言されています。
佐倉さんが、個人の生命と言う言葉をどのように理解しているのか不明ですが説明に矛盾があるように思います。
個人の生命の始まりが無いと発言しているにも関わらず、個人の生命と言う言葉を使っている。
こう言うところは相変わらず佐倉さんらしいところなのですが、私にはおかしいように感じられます。
佐倉さんは、自分の考えには、個人の生命は無いと応えるのが正しい佐倉さんの答えなのではないでしょうか?
生命について佐倉さんは、なんにも知っていないのですから説明は出来ないのだと思います。
佐倉さんは、生命の存在理由を知らない。これに対して佐倉さんは何も知らないくせに理由なしに存在するのであると言うのです自分の信じていることを知りもしないのに言うのです。そう言うことです。
それでは、さようなら。
個人の生命の始まりが無いと発言しているにも関わらず、個人の生命と言う言葉を使っている。信仰者たちは、「永遠に存在する神には始まりはない」と発言しているにも関らず、「神」という言葉を使っています。どこがどのように不都合なのですか。
個人の生命は無いと応えるのが正しい佐倉さんの答えなのではないでしょうか?もちろん、わたしはそんなことは言っていません。佐倉さんは、[生命は]理由なしに存在するのであると言う・・・