鈴木さんの<<さしたる根拠もなく「後世の加筆」>>について 一言いわせてください。
私は引用の最後にTHE FIVE GOSPELSをあげました(「アビアタルとアヒメレクを取り違えたマルコ」参照)。 この書物は日本ではあまり知られていませんが、数十人の欧 米の新約聖書学者の討論の末、福音書にあるイエスの言葉が イエスのものか推定しています。 細かい部分には(トマス福音書の扱いや聖書の成立等)には 不満が残りますが、少なくとも聖書を云々するなら目を通し ておくべきです。内容が不満であるのなら著者であるTHE JESUS SEMINARに対し学術的に反論をすべきでしょう。
THE FIVE GOSPELSは2.27以下の「安息日は、人のために定め られた。人が安息日にあるのではない。だから、人の子は安 息日の主でもある。」の文はイエスが近い事を言ったを示す ピンクの活字で印刷されています。しかし、2.25からの「ダ ビデが自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったとき ...」はイエスの言葉とは考えられない黒のインクで印刷 されています。
これは、ファリサイ派の人々がイエスに「おまえの弟子たち は、安息日にしてはいけない麦の穂を摘んでいるではないか 。」と聞いたのに対し「安息日は、人のために定められた。 人が安息日にあるのではない。だから、人の子は安息日の主 でもある。」と答えたということだったと思います。 「ダビデ」以下の話は安息日だったかどうかわからないし、 空腹だから麦の穂を摘んでいたのかどうかもわかりません。 ですから読んでいて不思議な気がするのです。
狸
なお、狸さんのご意見に関しては、次のご意見が投稿されています
「お答えします」鈴木さんより