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言の葉

(62)

「仏像を一つ持ちだし、これを枕に昼寝・・・」


日本人の愛してやまない一休さん。今回はその一休さんにまつわる言葉を紹介します。



ある春の一日、一休が蓮如を訪ねると、おり悪く不在だった。一休は勝手に上がり込み、待っている間、本堂に入って手ごろの仏像を一つ持ちだし、これを枕に昼寝してしまった。やがて蓮如が帰って来て、「これこれ、わしの商売道具を台なしにしたな」と言い、二人で腹を抱えて大笑いした。

--- 安藤英男、『一休:逸話でつづる生涯』(すすき出版)、199頁---


関の地蔵をはじめて造った時のこと、土地の人々が集まって、その開眼供養を一休に頼んだ。一休は気軽に引き受けて、「幸い関東へ行脚に出るところだから、そのさい立ち寄って開眼いたそう」、と使者を返した。

一同は喜んで、準備万端ととのえ、沿道を掃き清めて、盛装して待っていると、一休はただ一人、ふだん着のままで、すたこらとやって来た。「お地蔵様はどこかね」と尋ねて、そのまま現場へ行ってみると、供え物を供え香華をたむけて、荘厳をつくしてあった。

「では、開眼をお願いします」と、一同固唾を呑んでいならんでいると、一休はつかつかと歩み寄り、いきなり衣の前をからげて、石地蔵の頭から小便を、廬山の滝のごとく浴びせた。

「まず開眼はすんだ、これでよかろう」と、一同があっけにとられているなかを、東海道を東を指して立ち去った。

--- 同上、227〜228頁---


江州は堅田の浦に、弥五郎という名の漁師がいた。殺生を生業としていたので、後生大事と願っても空しかろうと、信心嫌いであさましく暮らしていたが、ついに寿命がつきて死んでしまった。弥五郎の妻子は、嘆き悲しむこと限りなく、後世安楽に往生させたいと、火葬にしようか土葬にしようか、どこの和尚さんに引導を渡してもらおうかと考えていると、たまたま一休が巡錫して堅田へやって来たので、これを幸いと一休の袖にすがり、後世の苦しみを救いたまえと願い出た。

一休はふびんに思い、気軽に引き受けて、「それでは、死骸を俵につめて持ってくるように」と言った。家人は、不審に思ったが、何しろ一休の言うことだから、言われたとおり米俵に死骸を入れて、縄をかけて持ってきた。一休は、それを舟に乗せ、家人とともに湖上に漕ぎ出した。そして、沖に出ると、

この俵は、これ元来、「米俵」にもあらず、「豆俵」にもあらず、汝は堅田の「弥五郎俵」なり。ほとりに沈んで、うろくず(魚)の餌となり、仏果を得よ。喝。
と、引導を渡し、水底に突き落とした。

--- 同上、213〜214頁---


阿弥陀とは 南(皆身)にあるを 知らずして
    西を願うは はかなかりけり

--- 同上、180頁---