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言の葉

(46)

「神国日本の幻想・・・」


共同幻想の真の恐ろしさは、誰も内心では信じていないにもかかわらず、誰もが、自分以外の全員がそれを信じているだろうと思っているものが共同幻想になり得るところにある。


岸田:神国日本の幻想だってね、個人個人としては、天皇が神であるなんて阿呆らしいと思っても、集団として成立しちゃうと否定できないんですね。天皇が神ではないというのがタブーになっちゃうんですね、そしてはらの中では信じてなくても、それが共同幻想として成立しますとですね、それに従わないと、その集団では不適応になりますからね、非国民というわけで。結局、現実には、その共同幻想がその集団を動かすことになっちゃうわけですね。つまりね、ここが共同幻想の恐ろしいところですけれども、みんなが信じていることの平均値が共同幻想になるとは限らないんです。誰も信じていないものが共同幻想になる場合がある --- というか、誰もが、自分以外の全員がそれを信じているだろうと思っているものが共同幻想になる場合があるわけです。

伊丹:自分は信じていないけど、自分以外の人はみんな信じていると・・・

岸田:みんながおもっている・・・

伊丹:なるほど・・・

岸田:だから恐いわけです。

伊丹:これは恐いですねえ。



--- 岸田秀、伊丹十三『保育器の中の大人』文春文庫(268頁)---