ドグマからの自由、それが仏教である。故沢木興道禅師の痛快な言葉です。
「どういう主義」 --- それは仏教にはないわけである。「どういう生活」、そんなことはないわけである。ないのがほんとうである。どういう生活をしようといっても、しようがない。・・・心においても身においても、どうせんならんということはない。それが雲水じゃ。固定したものがあってはならぬわけである。・・・この自由自在こそ、人間の一番の幸福であらねばならぬ。それを古人は遊戯三昧ともいうた。人間一生遊んでおればよいけれども、仕事を仕事と思っているから日雇い賃の値上げを要求する。わたしはちっとも値上げしはせぬ。労働基準法に外れるほど働いて、朝四時から晩の十時まで座禅、提唱をする。家におれば、夜一時まで本を読まねば明日の商売にさしつかえる・・・ということで、精いっぱい。労働基準法も何もあったものではないけれど、これは遊びじゃからなんでもない・・・