人は、意思の疎通をはかる道具の一つとして言葉を使います。私は、100%の意思の疎通とは、自分の思い描く映像と喜怒哀楽に加えることの5感とさらにその思いにいたる背景と思いの強弱を同時に伝え合えることと考えています。(佐倉さんとはこの段階で既に大きな違いがあるのでしょう)
ここでは、文章により意思の疎通をはかっているわけです。
現実は、文章のみにて全てを伝えることは、出来ないと言うことです。 これは、あなた自身も自分の主張がうまく伝わらないと発言されていることから、あなたにも理解されているようです。
「matsudaknhさんだけが不都合を感じておられるのでしょうか、と疑問を述べたのです。」と発言されていますが、わたしは、不都合と感じているとは発言していません。 わたしは、おかしいと言っているわけです。あなたが、「神」と言う言葉を使うことは間違いで、「信仰者の信ずる神」と常に表現しなければならないと考えているのです。 あなたは、自分の解釈している通りの発言を行わなければおかしいのです。 他者の言う「神」を「信仰者の信ずる神」と丁寧に自分で解釈し表現しているのですから。 佐倉さんは言葉の使い方の間違いを直さないと自身に対する公正な判断はいつまでたっても出来ないのではないでしょうか?(こう言うと具体的にどこの部分にとこられるのでしょうがと書けば、そのようなことはもちろん言っていないと言われるかもしれませんが)
この意味を佐倉さんが理解できていないのです。この表現の意味が佐倉さんには理解できないのです。理解できない理由の一つについて、「matsudaknhさんだけ」と発言されていることからもわかりますが、佐倉さんの考えは思い込みのひとつであるにもかかわらず、そのように自分の考えをとらえることができていないことなのです。言いかえれば、佐倉さんは、指摘された間違いを理解出来なかった場合には、間違えていない正しいことと考えてしまうと言うことです。(こう言うと具体的にどこの部分にとこられるのでしょうが、この理由から無駄と思われるのでやめておきます。100%の意思の疎通が可能であればどれほど楽になることでしょう)
伝わったでしょうか?
1.始まりが無いものに言葉を使うのはおかしい?
「matsudaknhさんだけが不都合を感じておられるのでしょうか、と疑問を述べたのです。」と発言されていますが、わたしは、不都合と感じているとは発言していません。 わたしは、おかしいと言っているわけです。あなたが、「神」と言う言葉を使うことは間違いで、「信仰者の信ずる神」と常に表現しなければならないと考えているのです。
「不都合」を「おかしい」と言い変えても同じです。
matsudaknhさんのご批判は、
[佐倉は]個人の生命の始まりが無いと発言しているにも関わらず、個人の生命と言う言葉を使っている。 (1月16日)というものでした。これは、
始まりが無いものに言葉を使うのはおかしいということでしょう?わたしには、そのどこがどのようにおかしいのかわかりません。それは、わたしだけでなく、たとえば、世に沢山いる信仰者は、神には始まりが無いと言っているにも関らず、平気で「神」という言葉を使っている(すなわち、誰も始まりが無いものに言葉を使うことについて「おかしい」と思う人などいない)のですから、なおさらです。だから、どうしてmatsudaknhさんだけがそのことを「おかしい」と思うのか、それをお聞きしたのです。
しかし、それに対するお便りでは、わたしの「神」という言葉のたとえに関しての話になって、うやむやになってしまいました。今回も、
あなたが、「神」と言う言葉を使うことは間違いで、「信仰者の信ずる神」と常に表現しなければならないなどという別の話(これ自体もやはりmatsudaknhさん独特の奇妙な主張ですが・・・)になってしまい、やはり、うやむやになってしまったようです。
これでは、いつまでたっても、うやむやのままになるかもしれませんので、一応、ここにわたしの結論を出しておきます。
結論:
わたしは、すでに、神を信じる信仰者が、始まりの無いもの(神)に対して言葉(「神」)を使っている、という例を提示して、一般にそれが「おかしい」と思われていないことを示しました。
こんどは、なぜそれがmatsudaknhさんにとっては「おかしい」と思われるのか、matsudaknhさんはそれをちゃんと説明すればよいのです。簡単なことです。もし、matsudaknhさんが、いつまでも説明しないのであれば、matsudaknhさんの批判は批判になりません。それでは、「地球は平たい」と思い込んでいる人が、世間の「地球は丸い」という常識を「おかしい」と思うように、「おかしい」と思う方がおかしいと思われるだけだからです。
2.「信仰者の信ずる神」と常に表現しなければならない?
同じようなことは、今回の、
あなたが、「神」と言う言葉を使うことは間違いで、「信仰者の信ずる神」と常に表現しなければならないというmatsudaknhさん独特の奇妙な主張にも当てはまります。わかりきっていることは、いちいち、くどくど、繰り返さないのが、一般社会のコミュニケーションの常識です。もし、matsudaknhさんの言うことが本当なら、
信者も、「私の信ずる神」と常に表現しなければならないということにもなるでしょう。そんな馬鹿らしいことは、matsudaknhさんご自身もやっておられないように、誰もやりません。相手にちゃんと伝わる場合は、特別に強調する必要がないかぎり、いちいち「信仰者の信ずる神」とか「私の信ずる神」などと表現する必要がないからです。実際、わたしが「神」と言うだけで、それを読むmatsudaknhさんには、それが「信仰者の信ずる神」を意味していることが、ちゃんと伝わっているわけです。
意味が伝わっているのですから、いちいち、「「信仰者の信ずる神」と常に表現しなければならない」必要はないということになります。だから、だれもそんなことが必要だとは思っていないし、matsudaknhさんご自身も実践されていないわけです。
3.根拠のない主張は通じない
伝わったでしょうか?matsudaknhさんの主張や批判はいつも、この人と同じで、自分の主張を断言するだけだから、何も伝わらないのです。なにか主張するなら、主張の根拠を提示しなければなりません。「おかしい」と主張するなら、なぜおかしいのか説明しなければなりません。主張に説得力のある根拠があってはじめてそれは知識となり批判の土台ともなりえます。主張に説得力のある根拠がなければ、それは単なる思い込みにすぎません。
matsudaknhさんの話がいつもトンチンカンなのは、コミュニケーションの仕方の問題ではなく、自分の主張を断言するだけで、その主張の根拠を提示しない(あるいは、できない)からです。
なぜ、「個人の生命の始まりが無いと発言しているにも関わらず、個人の生命と言う言葉を使」うのはおかしいのか、その根拠を説明する用意ができたらお便り下さい。わたしたちの論議はそこから建設的なものに向かってゆくことができるでしょう。