ひまが出来たので一部訂正しましょう。

信仰者たちは、「永遠に存在する神には始まりはない」と発言しているにも関らず、「神」という言葉を使っています。どこがどのように不都合なのですか。
もちろん、私は、そんなことは言っていません。

個人の生命は無いと応えるのが正しい佐倉さんの答えなのではないでしょうか? 私のこの質問には回答してもらえないのでしょうか?

「佐倉さんは、生命は理由なしに存在すると言うのです」を「佐倉さんは、生命は存 在の理由があって存在すると言う主張を理由もないのに否定するのです。それは何故 かというと佐倉さんは、生命の存在理由を知らないからなのです。」に訂正します。

いかがでしょうか?

1.<始まりのないもの>に対して言葉を使うことになんの不都合があるの

信仰者たちは、「永遠に存在する神には始まりはない」と発言しているにも関らず、「神」という言葉を使っています。どこがどのように不都合なのですか。
もちろん、私は、そんなことは言っていません。
もちろん、わたしは、matsudaknhさんがそう言ったなどとは言ってはいません(^^)。こういうことです。一般に、信仰者たちは永遠の神に始まりはない、と信じており、それにもかかわらず、かれらは、「神」という言葉をつかっており、そのことについて、誰も不都合だとは思っていないことを指摘したのです。つまり、<始まりのないもの>に対して言葉を使っても、誰も不都合だと思っていないのです。ところが、matsudaknhさんだけは、どういうわけか、始まりのないものに対して言葉を使うのは不都合だと思っていらっしゃる。
個人の生命の始まりが無いと発言しているにも関わらず、個人の生命と言う言葉を使っている。 (前回
と。だれも不都合だと思っていないことに、どうして、matsudaknhさんだけが不都合を感じておられるのでしょうか、と疑問を述べたのです。


2.自分が主張していないことは弁明できない

個人の生命は無いと応えるのが正しい佐倉さんの答えなのではないでしょうか? 私のこの質問には回答してもらえないのでしょうか?
前回すでにお答えしました。「わたしはそんなことは言っていません」と。わたしは、自分が主張していないことを弁明することはできません。


3.批判するなら、わたしの主張を批判してください

佐倉さんは、生命は存在の理由があって存在すると言う主張を理由もないのに否定するのです。それは何故 かというと佐倉さんは、生命の存在理由を知らないからなのです。
わたしは、「生命は存在の理由があって存在すると言う主張を理由もないのに否定」してはいません。批判するなら、matsudaknhさんがわたしの主張だとして勝手に作り上げたわたしのあずかり知らぬ、とんでもない主張ではなく、ちゃんとわたしの主張を批判してほしいと思います。わたしは、自分が主張していないことを弁明することはできないのですから。

わたしは、自分なりに、できるだけ分かりやすく書いているつもりなのですが、どうやら、わたしの主張は、matsudaknhさんにはうまく伝わっていないようです。わたしの、どの拙文のどの部分について語っておられるのか、具体的に指摘してくだされば、わたしはmatsudaknhさんのためにさらにくわしく説明を試みる用意があります。ひまがあったら、また、お便りください。