はじめまして。 ずっと以前に訪れて以来しばらく見ておりませんでしたが、今回ふたたび拝見してお ります。 ひとつ質問をお許しください。

佐倉様は以前(私の記憶が間違っていなければ)「聖書に書かれてあるものすべてがそうでないにせよ」と限定された上で、それでも「イエスが何らかの奇跡を行ったと思う」とおっしゃっておられたように覚えておりますが、その根拠は何でしょうか?また、具体的にたとえばどの奇跡が現実に行われたとお考えですか?また、イエスの使途たち、あるいはその後今日までのキリスト教世界で行われたといわれているさまざまな奇跡や伝承についてはどのように見ておられますか?(もし、他のページで論じておられるのなら、失礼ですがどこを参照すればよいのか教えてください)どうかよろしくお願いします。

私がこのようなことをお聞きしたのは、私個人の興味が「(奇跡があったとして)なぜ奇跡は行われなくなったのか」ということにあるからです。もし私が目が見えなかったら、やっぱり「目が見えるようになること」を救いにするかもしれないと思うからです(もっと精神的な、内的な、違ったかたちで救いを見出す人もいるかもしれませんが、もし私が足が立たなかったら、やっぱり「立って歩けるようになること」に救いを見出すからです)

佐倉様は以前(私の記憶が間違っていなければ)「聖書に書かれてあるものすべてがそうでないにせよ」と限定された上で、それでも「イエスが何らかの奇跡を行ったと思う」とおっしゃっておられたように覚えておりますが、その根拠は何でしょうか?
それは、いくつかの病気癒しの奇跡に関するものです。たとえば、イエスの衣に触れて病が癒されたという物語が福音書に記されていますが、そのくらいのことはあっただろうと考えています。その根拠は、それぐらいのことなら、神秘的な力による奇跡なくしても、ありうることだからです。

気持ちの持ちかたの違いが肉体的な症状に影響を及ぼすことは、今日では常識です。気持ちの持ちようによって、症状が悪化したり、良化したりする場合があるのです。ですから、ちょっとした病気なら、「教祖様の衣に触ればわたしの病気は治るかもしれない」といった思い込みが症状をいくらかはよくしたかもしれないことも考えられるわけです。もちろん、聖書の中では、教祖様を神格化したくてたまらない信者のひどく誇張した物語になってしまっていますが。

なお、奇跡についてのわたしの考えに関しては下記も参照してください。

作者よりDavid Ahnさんへ」のなかで「イエスキリストは、どのような方だっただと佐倉さんは思いでしょうか?」という質問に応えた部分。「作者よりMitsuki Hashimotoさんへ」のなかの「聖霊の賜物(預言・異言・癒しetc)」に関する意見。「作者より新之助さんへ」のなかで「佐倉さんはこのような宗教的な療法や新興宗教における現当利益についてどのようなお考えを持っておられますか 」という質問に応えた部分。「作者よりMakoto Yamayaさんへ」のなかで、「生まれつき腕の無い少年のために牧師が祈ったらみんなの見ている前で腕が生えてきたんだって」という話について。そして、「nakaさんへ」のなかで「わたしが奇跡に興味を持たない理由」を述べた部分などです。