はじめまして、新之助といいます。いつも楽しく拝見させていただいております。内容がすごく高度なので半分位しか理解できていないかもしれませんが。。。「和の思想」のご論文にはすごく共感できるところがありました。

我が家は、私で四代目にあたりますが、代々ある新宗教を信仰しています。その教団は「救い」ということを前面に押し出している団体で、所謂手かざしのようなことをして病気治しを行います。私も生まれたときから父母から「手かざし」をしてもらって育ちました。高校1年のときから両親について教会に通い始めましたが、そのときから実際私も宗教体験がちょくちょく身に起こり、ふしぎでたまりません。例えば、学校で友人が両足をつってしまって歩けなかったとき「ハンドパワーで治してやるよ」と冗談めかして「手かざし」を行ったところ3分ほどで痛みが去り、歩けるようになってふしぎがっていたという出来事がありました。また教会内の知人も、現代医学でも治療が難しい脳性麻痺が治ったりしていて実にふしぎです。

佐倉さんはこのような宗教的な療法や新興宗教における現当利益についてどのようなお考えを持っておられますか。



佐倉さんはこのような宗教的な療法や新興宗教における現当利益についてどのようなお考えを持っておられますか

わたしは、宗教的な療法のような現象はあると思っています。たとえば、新約聖書の中に、イエスの衣に触って病が癒された、というような話があります。わたしはそのようなことはあったのだと思います。人間の思考内容が体に影響をおよぼすということがあるからです。

たとえば、「これはカフェインの強いコーヒーだ」、といって実際にはカフェインのまったく入らないコーヒーを飲ませるグループと、「これはカフェイン抜きのコーヒーだ」、といって実際はカフェインの入ったコーヒーを飲ませるグループとの違いを調べると、前者の方が「目が覚める経験」をする比率が高くなるのです。

こういった実験はすでに何度もなされていますから常識と言ってよいでしょう。実際、「この薬を飲むと良くなる」と思って飲むとそういう思い込みが病を治すことがあるため、本当はビタミン剤しか入ってない「偽の薬」が医者によって調合されることもあるのです。しかし、人間の思考が体に与える影響というのは限られていますから、どんなにポジティブな考え方を持っていても、直らない病は直らないのです。したがって、宗教的な療法にも同様の限界があります。

不思議な力を持っているように思われる「手かざし」が、実際はほとんど無力であることを知るのは簡単です。日本中の病院を回って、かたっぱしから患者に「手かざし」を施すことです。そうして直った患者とそうでない患者を比べてみてください。そうすれば、「手かざし」がいかに無力であるかを思い知らされることでしょう。

そのとき、そんなことははじめからやらない理由とか、やっても病が直らなかった理由を、うまく言い訳することができる人が宗教家となり、その言い訳に簡単に説得される人たちが信者となるわけです。「信仰が足りない」とか、「修業が足りない」とか、「まだ、その時ではない」とか、そういう言い訳ですね。そういった言い訳のうまさこそが宗教家が宗教家である理由だと思います。