佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


  ホー   キリスト   聖書の 間違い  来訪者 の声 

K.M.さんより

99年12月13日

足し算のできないエズラ」に対する反論 その2

ご掲載ありがとうございます。佐倉さんの応答にお応え致します。

佐倉氏: 「一方を『これから帰ろうとする人々』、他方を『実際に帰った 人々』と区別するのは……何らの聖書的根拠もありません。」

そうでしょうか。エズラはネヘミヤ(ティルシャタ)は知り合いでした。(エ ズラ 2:60 ;ネヘミヤ 8:1,9) ですから、ネヘミヤはエズラ記のことを知っ ていたに違いありません。それなのに、こうした相違点にお互いに気付かなかっ たというのは変です。また、ネヘミヤ書はエズラ記より20年ほど後に書かれまし た。ですから、その間に系図を確立できた人がいたとしても不思議ではないでし ょう。



作者よりK.M.さんへ

00年7月15日

(1)聖書的根拠のない、勝手な拡大解釈

知り合いだからということが、いかにして、「一方を『これから帰ろうとする人々』、他方を『実際に帰った 人々』と区別する」ことの聖書的根拠となっているのでしょうか、まったく筋違いで反論になっていません。

そして、もう一つのわたしの批判の反論にもなっていません。

それは間違っています。なぜなら、エズラ記もネヘミヤ記も、一致して、次のように記述しているからです。
 エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。(ネヘミヤ記7章6節) 
 エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。(エズラ記2章1節) 
すなわち、聖書には、どちらも、<実際に自分の町に戻った人々>であると、はっきりと書いてあります。したがって、「一方を『これから帰ろうとする人々』、他方を『実際に帰った人々』と区別する」などと勝手な拡大解釈する余地はここにはありません。


(2)結局、聖書は間違っている

また、ネヘミヤ書はエズラ記より20年ほど後に書かれました。ですから、その間に系図を確立できた人がいたとしても不思議ではないでし ょう。

この解釈も、二つの記述が同じでないことの説明にはなりますが、先に書かれたエズラ記は間違っており、それを、ネヘミヤ書が訂正した、ということになり、結局、聖書には間違いがあることを認めたことになります。

おたより、ありがとうございました。


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