始めまして。 年の初めにメールを出させていましたが、掲示板荒らしにあい気が動転していて、HPも紹介せず電子本のみお知らせしておりました。どうも失礼いたしました。本ができメールを確認していて気がつきましたので、改めてHPをお知らせいたします。
http://www.tubobook.com/hoshi/とても信じて頂けないと思いますが、星達は今のままの考えでは地球は平和にならないからと知らせてくれます。次々と知らされる情報もこれまでの情報を更に詳しく知らせてくれています。 改めてHPを読ませて頂きマルコの件を聞き、チャネリングで答えてくれたものを添付しました。
宜しければどうぞご覧くださいませ。
2001年1月31日 イエスとマルコにガリラヤに何故行かれたか聞いた。
「サクラです。私が何故この様な聖書の誤りを研究するようになったかというと、イエスの真実の言葉を知って欲しいからでした。いにしえに起きたことで記憶は定かでありませんが、今伝えられている事があまりにも違うことが書かれているからです。 イエスの弟子マルコが今降りています。」 「マルコです。イエス様は傷が少しだけだったので、しばらくするとガリラヤ湖に行かれそこの信者の家でかくまわれました。そして舟でさらに遠くに行かれました。私は岸辺からお見送りしました。そして醜いことに弟子達は皆生きようとしました。ヨハネとマタイ、ルカが殺されました。ペテロとパウロはどうなったか知りません。私は静かに湖畔で人生を終わりました。マルコが書いた物が何故途中で終わっているかというと、醜い争いが終わってから書かれたからだと言われます。学びがいつまでも続きました。」 「イエスです。傷を押さえる歩くことが出来ました。それで夜中にエルサレムを抜け出したのです。そしてガリラヤの信者の家で匿われました。身体が元気になったので、舟で隣の国に行きラクダに乗り港まで行きました。それから争いのないと言われた神の国に行くために東に向かったのです。」 |
たいへんおもしろいですね。
(1)マルコはイエスの弟子だった?
「マルコです。・・・私は岸辺からお見送りしました。そして醜いことに弟子達は皆生きようとしました。ヨハネとマタイ、ルカが殺されました。・・・私は静かに湖畔で人生を終わりました。マルコが書いた物が何故途中で終わっているかというと、醜い争いが終わってから書かれたからだと言われます。」マルコ(の著者)も、ヨハネ(の福音書の著者)も、マタイ(による福音書の著者)もルカも、いずれもイエスの弟子ではありません。それに、「マルコによる福音書」はマルコによって書かれたかどうかはわかっていません。「マルコ」という名前を今でもわたしたちが使っているのは、ただ、後代の教父の伝承をそのまま受け継いでいるだけです。キリスト教や聖書について常識的なことしか書いてない本からの知識では、福音書の著者はイエスの弟子だったとか、「マルコによる福音書」はマルコによって書かれたとか、「マタイによる福音書」はマタイによって書かれたとか、思い込んでしまうかもしれません。
このあたり、大川隆法さんがその霊示集のなかで12月25日をイエスの誕生日と思い違いしているのとよく似ていますね。(「大川隆法の霊示」)「霊示」の本当のネタが、星や霊ではなく、「霊能者」の記憶に残っているあやふやな雑学知識にすぎないことがわかる例です。
ところで、「マルコが書いた物が何故途中で終わっているかというと、醜い争いが終わってから書かれたからだと言われます。」という言い方は、マルコ自身が「マルコによる福音書」を書いたのならおかしい言い方ですね。「マルコです・・・」などと、自己紹介しておきながら、途中で第三者となって、解説しているからです。マルコが降臨して語っているのではなく、単にマルコになったつもりになっているだけですから、ときどき本人になりきれないで、こんなことになってしまうわけです。
(2)イエスは生きて日本に渡った?
舟で隣の国に行きラクダに乗り港まで行きました。それから争いのないと言われた神の国に行くために東に向かったのです。そこから向かわれたという東の「争いのないと言われた神の国」とは、「星からのメッセージ第2集」によれば、日本のことだそうですね。「東北にヘブライ語の歌や風習が残っている。キリストの墓と言われるものもある・・・」といったこと書き添えられているところを見ますと、どうやらミヨさんは「超古代史」に関するあやしげなトンデモ本を読まれているようです。そこから、「イエスと弟・船頭の3人で日本の東北に上陸」したという考えを思いつかれたことがうかがえて、とても楽しいです。
それに、もし、イエスがガリラヤに行った(そしてインドを経由して日本に渡った)のなら、イエスはエルサレムにとどまって、ガリラヤにも行かず、エルサレムの郊外の山の上から、天に昇った、という記録を残したルカの福音書とまったくつじつまが合わなくなりますね。
インドでイエスがマホメットに出合ったという話も面白いですね。
イエスは10代の頃インド人の手伝いをし、インドまで行っていた。そして港でマホメットと出会い友達となる。イエスは西暦1世紀、マホメットは西暦7世紀の人物ですが、この二人を出会わせて平気なところが、このうえなく興味深いです。単に心に思い浮かぶことや夢を、「星からのメッセージ」などと解釈して、勝手につなぎあわせて物語を作るので、こんなありえないむちゃくちゃな話になっても気がつかれないのでしょう。
イエスはイスキリと名乗り、病気を治しながら南下して大阪の石切に落ち着く。「イスキリ」は「イエス・キリスト」と「石切」を関係づけたのですね。なるほど、これが命名方法の一つなのか。
イエスの養子は宮廷で仕えていたが、イエスの教えを良く守り人望を集め、ついには選挙の形で天皇になる=仁徳天皇。お墓(前方後円墳)はギリシャ文字の最後の文字オームΩを形取って作ってもらう。前方後円墳の形と「文字オームΩ」の形がちょっと似ているというはなはだ心もとない理由だけから、古代日本とイエスを結びつける神秘的な物語りに作りあげられたのでしょうが、イエスの使っていた言葉はアラム語であって、どうして突然ギリシャ語になっちゃうのか、とても可笑しい。単なる思いつきだからですね。
ところで、イエスが生きて日本に渡ったということが本当だとすると、イエスの犠牲の死はなかったことになり、イエスの犠牲の死によって罪が許されるというキリスト教の中心思想が成立しなくなります。つまり、「星からのメッセージ」は、2000年間教えられてきたキリスト教が嘘であることを主張していることになります。なんと、かわいそうなクリスチャンであることか。
(3)貴重な資料
ミヨさんは、ほとんど何の根拠もないのに、無関係なものを自由に関係づけることのできる破格の空想能力の持ち主だと思います。このようなお便りは、(大川さん、麻原さん、文鮮明さんなど)宗教的教祖の自覚がどんなものであったかを想像することにおいて、とても貴重な関係資料となると思われます。