(このお便りは前回からの続きです)

佐倉さん、こんばんは。takapです。

「無我の思想 第二章 ブッダの沈黙」に対する感想です。

(1)ブッダの沈黙

しかし、仏教は、たとえば、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、同じ次元で「アートマンは無い」と単純に言い返したのではありませんでした。仏教の批判は、ウパニシャッド(やその他の宗教各派)の主張が依って立つ土台そのものに向けられた、もっと根本的なものだったからです。

最初期の仏教の無我は「我にあらず」という執着を去りなさいという教えであり、ウパニシャッドやバラモンの教え、また同時代に生まれたジャイナ教とも違わないものだったということは前回書きました。

ところが佐倉さんの無我論は、仏教はウパニシャッドなどのインドの諸思想のアートマン論に対立して生まれたと考えています。佐倉さんの無我論は、このように間違った見解から始まっているのです。

ブッダが宗教に見たものはドグマへの執着であり、その愚かさです。そのために、ブッダは、ある特定の種類の(形而上学的)質問に対しては沈黙したと仏典は記しています。このことを「無記」あるいは「無捨置」といいます。

ブッダの沈黙は宗教や哲学の形而上学的論議そのものに対する批判です。「人が死後も存在して生き続けるかどうか」と言う質問は、ブッダが答えることを拒否した14(あるいは10)種類の形而上学的質問のうちの一つだったのです。それは、「毒矢のたとえ」や「ヴァチャとの対話」などの経に残されています。

そうですね。

このように、ブッダは「人は死後にもなお存するかどうか」というような種類の形而上学的問いには答えなかった、と仏典は記録しています。そのような問いに対する見解はドグマ(独断)に過ぎないからです。

「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」

(マッジマニカーヤ 中部経典22)

ここに出てくるブッダはしっかり形而上学的な質問に答えて、価値判断していますね。矛盾しています。

佐倉さんがこれの一つ前で引用した中部経典72では、

人は死後もなお存在するか存しないか等のことについて、世尊がいずれの意見であるかを問うた。だが、世尊は、そのいずれの意見をもとらない旨を答えた。
というふうに、そのいずれの意見もとらなかったはずです。それに最初期の仏教は因果応報説を一応受け入れていました。したがってこの佐倉さんの引用した中部経典22は一つの変節の一例と見るのがよいと思います。

このように、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、ブッダは、同じ次元で「アートマンは無い」と単純に言い返したのでは有りません。現代仏教学者が、ときどき、初期の仏教は決して「アートマンは存在しない」と主張したのではないというのは、この意味からです。
佐倉さんの言う現代仏教学者がどのような方々かは知りませんが、現代仏教学者で「初期の仏教は決して『アートマンは存在しない』と主張したのではなく」とする方々で、釈尊は「真実の自己」、「真実のアートマン」を実現することを教えたのだと主張する方は中村元博士以外にもいらっしゃいます。

早島 鏡正「ゴータマ・ブッダ」講談社学術文庫より
P46無我観

「あらゆる条件づけによって成立し、しかも無常遷流して変化しつづけているから、特定の実体をもつものはなにひとつとして存在しない。したがって、だれでもなにものかを「わがもの」と考えてとらわれてはならないという。『ウパニシャッド』に説く絶対の原理アートマンが個人存在となってわれわれの自我と示されているが、しかしながら、われわれは「われ」とか「わがもの」といってそれに固執している。これを打破して真実のアートマン、真実の自己を実現すべきである。それゆえに「無我」とは「我がない」「主体がない」と解するのではなく、「非我」と訳語が 示すように、「我でない」「真実の我のすがたでない」と解すべきである。
三枝 充悳(中村元共著)「バウッダ」小学館
P181〜191で三枝氏は、 主体性を表わすものを「自己」とし、この「自己」とは別なものとして執着の塊、あるいは執着の根が「自我」があり、仏教で否定したのは「執着の根として我」である「自我」のほうであるとしています。

しかし、釈尊の死後100〜200年以上経たころ、「実体の否定」という説が立てられるようになったようです。

「しかし、このような『実体の否定としての無我』は、現在ほとんどの仏教解説書に氾溢してはいるけれども、前述したとおり、阿含経からはかなり離反しており、阿含経に説かれる無我に関する限り、とくにその原初形は、反復して強調すれば、『執着の否定としての無我』あるいは『無我とはとらわれないこと」と解さなくてはならぬ」
このように三枝氏も初期の仏典における無我とは「実体の否定ではなく」、「執着の否定」「とらわれないこと」と解すべきとしています。さらに、否定の主体としての我、つまり「自己」や「こころ」は、多く出てくることに注目しています。 「無我は理論ではなくて、まさしく実践の課題として阿含経には説かれ、無我の実現を阿含経は反復して強調する。そして、その実践を「実現を担い果たすのは、ほかならぬ主体であり、自己そのものである」 「そのような『自己』の在り方を、『ダンマ・パダ』は多くの詩句に説く。ただ一例のみ示そう。 「実(げ)に、自己こそが 自己の 主(あるじ) 自己こそが 自己の 拠どころ」「『真の自己』こそを、最初期の仏教はあくまで目ざしていた、と主張されよう」

このように釈尊の説いた無我は、執着の根としての自我を否定し、主体としての「真実の自己」を実現せよ、という教えであったと思います。


(2)キサー・ゴータミーの物語

このような、死後も生残る永遠の魂としてのアートマンに対する仏教の立場は、とくに人の死の問題に関する仏教の態度に典型的に表れています。たとえば、キサー・ゴータミーの美しい物語はそのもっとも有名なものだと言えるでしょう。

幼子を亡くしたばかりの母親の狂乱を鎮めるには、言葉だけで納得させることはできない行動させることが良いと判断したのでしょう。しかし、このケースを釈尊の死にたいする態度の典型であるとするのはやはり、間違いだと思います。

初期経典には、人々から死後のことを尋ねられて、あなたの行いはこうだったから、こうした世界へ生まれるであろう、 と明確に答えている話がたくさんあります。しかし、「死なないようにしてあげよう。村へ帰って、芥子のみを二、三粒もらってきなさい。ただし、その芥子粒は、いままで死者を出したことのない家からもらってこなければならない。」などと言った記述は見たことがありません。

キサー・ゴータミーのような話は美しい話で情に訴えるゆえに引用されやすいですが、むしろ特殊なケースだと考えるべきです。

大般涅槃経のナーディカー村では、死後の境涯について、村中の大勢の人について言及しております。

そして、死後のことを尋ねられることに飽きた釈尊は、次のように言っています。

「アーナンダよ、このように死後の行く末について知ることは如来(私)にとって別に不思議なことではない。しかし、人が亡くなったらその都度私のところに来て尋ねられるのでは煩瑣でわずらわしい。そこでアーナンダよ。これから私は、”真理の鏡(法鏡)”という教えを説くことにしよう。・・・・・・・・・・」

(「ブッダの生涯 原始仏典一」P193 岩松浅夫訳 講談社)

(4)懐疑論者の改心 ところで、ブッダの神秘主義的形而上学的事柄に対する態度に関するある興味深い事件がブッダの時代におきています。神秘主義的形而上学的事柄に対して沈黙したのは、実は、ブッダだけではありませんでした。そのころ、サンジャヤという名の懐疑論者が似たような主張をしています。 (中略) 懐疑論者たちがブッダへ魅せられたというこの事件は、ブッダが神秘主義的形而上学的問題に対して沈黙をまもっていたことを裏付ける事件であったといえます。

ブッダが神秘主義的形而上学的問題に対して沈黙を守っていたがゆえに、サンジャヤの弟子がブッダの教えに魅せられた、という佐倉さんの推論と全く逆のことを述べているお経が存在します。

サクルダーイ大経(中部経典第77経) (「ブッダのことば