佐倉さん、はじめまして。
takapと申します。
佐倉さんの「無我」にたいするお考え読ませていただきました
私は釈尊の思想は、存在するものの真実を説いていたのだと考えます。そして、その真実に基づいてどのように人間は生きていくべきかを人々に教えたのだと思っています。
私はまた心霊主義も真実を伝えていると考えているものであります。心霊主義は簡単に言ってしまえば、人間は霊が本質であり、その霊は転生輪廻することで向上してゆくのである。向上のためには「善を為す」ことが肝要である、ということです。
そして、心霊主義の世界観、人生観から原始仏典を読むと共通する部分をたくさん見つけることができます。仏教を唯物論、無神論であると考える方々はそれらの部分(心霊主義が伝える世界観、人生観と共通する部分)は後世付け加えられたのだとか、インドに古くから伝わる思想を信じていた民衆に対する方便にすぎないのだとか仰るのが常です。
佐倉さんがこちらで引用される文献は結構一般的なもののようで、私も持っているものも多いのです。
率直に言いまして。ご自身の都合の良い部分だけを抜き出して引用したり、ご自身の考えとは合わない部分は隠してみたり、明らかに原典とは違う意図で利用したりしてますね。そうした指摘も含め以下、反論を書いてみました。
--- 第一章 ブッダの背景 ---(1)ウパニシャッドのアートマン説
このように古代のヴェーダ聖典から、バラモン教、ウパニシャッド、ヒンズー教にいたるまで、アートマン思想を宗教の根底に置くインドの世界の真っただ中に仏教は生まれ、一貫してそれらと対立してきました。仏教の無我(アナートマン)説は、このアートマン説に対する批判であったと考えられます。
アートマンについて、果たして最初期の仏教はインドの諸思想と対立していたでしょうか。中村元博士の著書(「自我と無我」中村元編 平楽寺書店)によれば、初期経典のうちでも比較的古層に属するといわれる経典(韻文)では、むしろ類似していたようです。
「経蔵の中の最古層に表明されている無我説によると、何ものかを『わがもの』『われの所有である』と考えることを排斥している。そうして修行者はまず『わがもの』という観念を捨てねばならぬという。したがって無我説とはこのような意味における我執を排斥しているのである」(P8)このように、仏教の無我説はこれらインド諸思想への批判として生まれたわけではないのです。「以上、古い詩句の中において『わがもの』あるいは『アートマン』の観念について論及している諸句を検討したのであるが、それらの所説は、古ウパニシャッド及びジャイナ教において説くところと大体において共通である」
「初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶことを躊躇する。『無我』という語は誤解をひき起し易い。初期の仏教においては決して『アートマンが存在しない』とは説いていない。むしろウパニシャッドなどの思想と多分に密接な連関を有するのである」(P24)
「このように、初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している。まず道徳的な意味における行為の主体としての自己(アートマン)を行為の問題に関する前提として想定している」(P28)
「さらにまたアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥されているのであるから、アートマンをアートマンと見なすことは、正しいことなのではなかろうか。聖典自身は明らかにこの立場を承認している。原始仏教においては自己(アートマン)を自己(アートマン)として追求することが正しい実践的目標として説示されている。すなわち真実の自己を求むべきことを勧めている」(P28)
しかし、相違する部分はあります。佐倉さんもご指摘のとおり、仏教以外の諸思想がアートマンを形而上学的にも論じたのに対し、釈尊はそれに対して沈黙を守ったことです。それは、仏教以前の諸思想が種々の形而上学的アートマン論を論じて互いに争っており、釈尊はそのような無益な論争は避けたかったからだと思われます。
「自己を愛し、自己を実現すべきことを説いているにもかかわらず、その自己(アートマン)がいかなるものであるか、ということについて、形而上学的にいかなる説明も与えていないのである。この事実は、インドにおける他の哲学学派と、いちじるしい対照を示している」(P51)ところが、あとから成立したと思われる「散文」の部分においては、次第に分析的なっていき、五蘊、六入などを一つ一つに対して「われがものではない、われではない、わがアートマンではない」とする仏典が増え、そこだけが強調されるようなっていったようです。
そして、原始仏教の末期にとうとう「アートマンは存在せず」と主張する経典が現れたしまったようです。
「最初期の仏教が多く、『わがもの』という所有観念を捨てるべきことを教え、アートマンに関しては、アートマンを愛し、護り、アートマンを実現すべきことを強調するのに対して、散文の部分においては、むしろわれわれが対象的に把捉し得る何ものもアートマンではない、ということを強調する。ところで散文の部分で強調されている思想を受けて、後世になると遂に『アートマンは存在しない』という意味の無我説が確立するに至った」(P76)結論として、仏教の「無我説」はインド諸思想のアートマン論に対立して生まれたのではなく、むしろ類似していた。しかし、次第に変節して行き、最初期には沈黙を守っていたにもかかわらず、とうとう「アートマンは存在せず」ということを言い出すようになってしまったようです。
そして、「アートマンは存在せず」と主張する人たちが出てきたため、インド諸思想の批判をあび、それに対して縁起説でもって答えになっていないような返答をしたりしています。また仏教内部でも混乱がみられるようになり、最初期の韻文とは反対のことを言い出すお経まで作り出したりしているようです。
ではまた
(1)心霊主義の偏見
私はまた心霊主義も真実を伝えていると考えているものであります。 心霊主義は簡単に言ってしまえば、人間は霊が本質であり、その霊は転生輪廻することで 向上してゆくのである。向上のためには「善を為す」ことが肝要である、ということです。 そして、心霊主義の世界観、人生観から原始仏典を読むと・・・「向上してゆく」とか「向上のためには『善を為す』」というような考え方はもちろん仏教にもありますが、「心霊」とか「霊」(あるいは「魂」)というような概念は仏教の概念ではありません。それらに相当することばは仏教にはありません。したがって、仏典を学ぶに当たって、始めから心霊主義なるものを前提にして、「心霊主義の世界観、人生観から原始仏典を読む」という方法は、おそかれはやかれ、多くの困難に突き当たることになるだろうと、予想されます。
いろいろな理由があって(仏教とは何の関係もない)心霊主義なるものを信じられるようになられたのだろうと思いますが、それでも、自己を向上させるとか、自己を訓練する、というようなことが人にとって意味を持つためには、必ずしも、「心霊」や「霊」というような存在を想定する必要はないことさえ了解されれば、わたしの理解する無我説がそれなりに一貫した説であることが理解していただけるのではないかと思います。
(2)自己自身としての「アートマン」
「アートマン」という言葉は、もともと、「自己自身」というぐらいの意味をもつ言葉ですから、たとえば「自分自身(アートマン)を大切にせよ」、というような言葉は別に初期の仏教に限らず、いつの時代の仏典にも見られます。
人の思いは何処にも行くことができる。 されど、何処に行こうとも、 人は己(アートマン)よりも愛しきものを見出すことを得ない。 それと同じように、 すべて他の人々にとっても自己(アートマン)はこのうえもなく愛しい。 されば、 おのれの愛しいことを知る者は、 他のものを害してはならぬ。したがって、「道徳的な意味における行為の主体としての自己(アートマン)を行為の問題に関する前提として想定している(中村)」のは当然です。中村氏は、「アートマン」という言葉がこのような意味でも使われる言葉であることを紹介されているわけですが、「非我」とか「無我」という言葉で、ブッダや仏教が否定したものは、もちろん、このような意味の「アートマン」ではありません。(サンユッタ・ニカーヤ3:8、増谷文雄訳)
(3)自己中心的所有欲の批判
また、仏典は、「わがもの」「われの所有である」という、自己中心的所有欲を否定していますが、このような考えたは、どんな宗教にもあるのであって、この点で仏教がバラモン教やその他のインドの宗教と同じようなことを説いていても別に不思議ではありません。
一切の所有を捨てるという考え方は、極めて古い時代からバラモン教においても行なわれていました。一切の所有物を捨て去り、山林に隠棲することは一種の祭祀として、ヴェーダ聖典に規定されています。初期の「ウパニシャッド」の中にも、遊行者は、子孫、財産、世間に対する欲望を捨てて行乞する者とされています。(中村元・田辺祥二『ブッダの人と思想』NHKブックス、98頁)仏教の無我説は実践的には「恒常の我」に対する執着を否定する教えですから、この無所有主義と関係があるのはもちろんですが、わたしたちは、無我説(自我に固執する考え方を否定する説)とともに無所有説(所有に固執する考え方を否定する説)も、ともに仏典の古い層のなかに見つけることが出来ます。
つねによく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。(スッタニパータ、1119)一方が他方の源流であったかかのごとき主張には根拠がありません。仏教が、所有欲を捨てることを勧めたバラモンの教えと同様なことを教えていた、という単純な事実から、仏教が無我説を説かなかった、などという結論はでてきません。
(4)ブッダが認めることを拒否したアートマンとは
アートマンの思想に関して、ブッダの思想がバラモン教と対立せざるを得なくなった背景には、アートマンという言葉が、バラモン教・ウパニシャッド哲学にとって、単に「自己自身」を意味する言葉ではなく、ある特定の意味を持つ宗教哲学用語だったからです。つまり、バラモン教・ウパニシャッド哲学においては、「行為の主体としての自己」(日常的自我)の背後に、肉体が崩壊した後にも永遠に生残る、何か見えない「魂」のような実体があるという考え方があったからです。その代表的なものはすでに「ブッダの背景」において紹介しましたが、ブッダの思想はこのような特殊な意味で使われるアートマンと対立したわけです。
インドの一般の諸哲学においては、人間の自我の中に、中心となるものを認め、これが常住であり、一なるものであり、主宰するものであると考えて、これを「我(アートマン)」と呼ぶ。仏教以前のウパニシャッド哲学では、この我の意義が力説され、宇宙我であるブラフマンとの相即が説かれた。また仏教興起時代の異端の諸哲学においては、我、すなわち霊魂が実体として存在すると想定していた。ブッダはこれに反対して、「我という実体は認められない」といって、これについては、ありともなしとも断定を控えるという無我の立場を強調し、存在は、縁起によって起こるものであると説いた。(中村元、『仏教語大辞典』「我」158頁)ブッダの思想における無我とは、修行や努力などの行為の主体としての自己、わたしたちが通常「自己自身」と読んでいるところ自己の否定ではもちろんなく、そういう自己の背後に、目に見えない常住なる実体を想定し、アートマン(自己)を「霊」とか「魂」のような実体して捉える、まさに「人間は霊が本質である」というような考え方こそが、無我として、ブッダによって否定されたわけです。つまり、ブッダの言わんとするところは、まず、自己にあらざるものを自己の所有とみなすこと、二つには、自己には常住不変の実体があるとみなすこと、三つには自己の本質というものがあるとみること、これらを否定することが非我の内容であると説きます。(中村元、中村元・田辺祥二著『ブッダの人と思想』、NHKブックス、95頁)
バラモン教やウパニシャッド哲学が想定したような、常住なる実体としてのアートマン(自己)を積極的に認めるような考え方は、仏典の最も古いものからもっとも新しいものに至るまで、まったく見当たりません。仏教は始めからおわりまで一貫して、「すべて壊するものであるがゆえに」(諸行無常)という理由から、常住なる実体としてのアートマンを認める立場を一貫して否認しています。
ところで、無我説は後代の創作にすぎないなどという主張をするために、中村氏をしばしば援用されていますが、無我説は後代の創作にすぎないというのは、ここに明示されているように、中村氏の立場ではありません。氏の立場は、「我、すなわち霊魂が実体として存在すると想定していた」バラモン教の思想に対して、「ブッダはこれに反対し」た、という立場です。
(5)原始仏教研究者の課題
中村氏をはじめてとし、原始仏教研究者が抱えたひとつの問題は、ブッダは、経験知識の届かない領域に関することがらについては断定を控えるという主張と、それと矛盾するかのごとき、「無我」(アートマンはない)という主張 --- この二つをどのように折り合いを付けて理解するか、という問題です。中村氏の試みは、それを歴史的発展という形で説明しようとしたものですが、うまくいっていません。なぜなら、無我説は、最初期の仏典の韻文の中にも見いだされるからです。たとえば、
比丘よ、またここに、一人のひとがあるとするがよい。彼は、すでに覚者を見、覚者の法を知り、覚者の法に順い、あるいはまた、すでに善知識を見、善知識の法を知り、善知識の法に順い、したがって、彼は、色(肉身)は我(アートマン)であるとも、我は色を有すとも、我が中に色有りとも、色の中に我有りとも、見ることはない…。一切は因縁の結ぶがままに有り、一切は因縁の結ぶがままに壊するものであることを、ありのままに知ることができるのである。かくのごとくにして、彼においては、色・受・想・行・識、すべて壊するものであるがゆえに、彼は、中村氏の仮説とはうらはらに、無我説の韻文がまずあって、それを説明するために散文の部分で五蘊説が展開する、という事実をこの例は示しています。仏典の実例は中村氏の仮説を支持していないのです。歴史的発展という形で説明しようとした中村氏の試みは(他の多くの優れた研究と異なって)失敗だったのです。われ(アートマン)というものはない。と知ることができるのである。
また、わがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、
何によってか、わがものがあろうか。(サンユッタニカーヤ22.55、増谷訳)
わたしの拙論「無我の思想」の目的のひとつは、実は、中村説をはじめとする現代原始仏教研究者の欠点を克服し、この問題への解決案を紹介することでした。それはつぎの通りです。
経験・観察できる世界 | 経験・観察できない世界 | |
---|---|---|
ブッダの立場 | 諸法無我。人間存在(色・受・想・行・識)はすべては無我である、アートマンではない。 | 沈黙。「アートマンがある(ない)」「死後の世界もアートマンは生残る(ない)」などという主張はおろかである。(無記、無捨置) |
ブッダの理由 | 諸行無常。すべては変滅していて、恒常不変なるものはどこにも見つけることはできない。 | 知ることのできない領域に関する見解は独断に過ぎず、知識ではないので修業の目的に役立たない。(常見、断見) |
つまり、経験・観察できない世界(形而上学の世界)に関してはブッダは沈黙し、経験・観察できる世界においては無我を主張した、ということです。実際、「毒矢のたとえ」や「ヴァチャとの対話」などの経であきらかにわかるように、ブッダが沈黙し答えることを拒否した質問のすべては、世界の始まりとか、死後の世界に人は生残るのか、などという、経験・観察できない世界(形而上学の世界)に関する質問であり、仏典に現れるすべての「無我(非我)」の主張は、例外なく、「色・受・想・行・識」などの、経験・観察できるもの(諸法、ダルマ)に関する主張です。
このように、ブッダの省察の対象を分別することによって、経験知識の届かない領域に関することがらについては断定を控えるという主張と、それと矛盾するかのごとき、「無我」(アートマンはない)という主張 -- この二つをどのように折り合いを付けて理解するかという問題が、すっきりと解決されます。
(6)まとめ
「アートマン(我)」という言葉は、もともと、単に「自己自身」という意味であり、仏教の「無我」とか「非我」というアートマン否定の考え方において使われているときの「アートマン」は、自己を愛するとか、自己を大切にする、自己を訓練する、というような意味で使われるときの、日常的行為の主体としての「自己」ではありません。
また、仏教が、所有欲を捨てることを勧めたバラモンの教えと同様なことを教えていたというような事実から、仏教がバラモン教のアートマン説と同じような考え方をしていた、という飛躍した結論も出てくるわけもありません。
バラモン教やウパニシャッドの哲学は、仏教が現れる前から、アートマンに関してある特殊な考え方を持っていました。つまり、死後肉体が滅びても生残る「常住なる実体としてのアートマン」の思想です。ところが、ブッダの思想ははじめから「諸行無常」の思想、すなわちすべては変滅して恒常不変なるものはない、という思想であったがために、このバラモン教やウパニシャッドの哲学の考える「常住なる実体としてのアートマン」とは、原理的に対立する構造になっていたわけです。このために、ブッダの思想は必然的に無我の思想として展開していったと考えられます。