聖書における「死後の世界」興味深く読ませていただきました. そして,最後の一言(無視と沈黙をまもる)は”うんとこ”さんのような,はたま たイエスの発言であるように感じました.
佐倉さんがこのテーマにおいて新約聖書を引用しなかった理由はわかりませんが( 旧約だけでも十分なのでしょう),イエスもしばしば, 死後の世界について問いをふっかけられた話が新約に記されていますが,そのたび イエスは相手をはぐらかすかのような返答を繰り返しています. つまり,イエスも死後の世界については,はっきりと語ってはいないように思わ れます.いやそれ以上に語ることを拒否をしているようにさえ思われます.(後の 教会がイエスの口に乗せてあれこれと死後の世界について,解釈をしている所は有 りますが)
”無視と沈黙”を言われた佐倉さんですが,もしゆるされるなら,新約からの考 察をお願いできないでしょうか.
「新約聖書を引用しなかった理由」については、Akihiro Kikuchi さんへのわたしの応答を参照して下さい。
Akihiro Kikuchi さんへの応答の中で指摘したように、死後観に関して言えば、新約聖書の宗教(キリスト教)は、本来の聖書(旧約聖書)の伝統を逸脱した宗教である、というのがわたしの理解です。わたしの拙論「聖書における死後の世界」で幾つかの例をあげて紹介したように、旧約聖書の人間の死と死後に関する記述をみれば、そこには、死後も魂として生き残るというようなキリスト教的人間観が完全に欠落しているのは明らかなのですが、新約聖書では、しばしば、魂が体とは独立に生存していると解釈せざるを得ないような表現(samtsumiさんへのわたしの応答を参照)が出てきます。
このことをさらに考察するために、わたしは、新約聖書に頻繁に語られる「永遠の命」という概念について調べ、旧約聖書の「永遠の命」に関する記述と比較してみました。「『永遠の命』の思想」をご覧下さい。