天地創造物語の矛盾(2)について。

私が聖書を読む限り、天地創造に関して矛盾はしていないように思われます。というのは、神が最初に光を作られたとき、それがただの「光」であって、必ずしも「光」イコール「太陽」ということではないと思います。光が作られ、そして地球が作られ、その後に太陽が作られても何ら矛盾はないように思われます。 そして、「すべての植物は太陽の光なしで生きることは不可能」という理論も適当ではないと思います。というのは、植物の成長には光が必要なのであって、太陽の光が絶対必要なのではないからです。蛍光燈の光でも植物が成長することは可能ですよ。


ノアの箱船の矛盾について。

「すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへきて、生き延びるようにしなさい。」

ヤーウェはノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物を一つがいずつ取りなさい。空の鳥も七つがいずつ取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」ノアは、すべてヤーウェが命じられたとおりにした。

この2つの事柄は、すべての「生き物を1つがいずつ」のほかに、「清い動物7つがいずつ、空の鳥7つがいずつ、清くない動物1つがいずつ」という解釈になると思います。実際、この中の清い動物のなかから、ノアは大洪水の後に神にそのいくつかを全焼のいけにえとしてささげています。もしこれが「1つがいずつ」の動物の中のいくつかであれば、洪水の直後にいくつかの動物は絶滅することになり、「ノアとその家族と共に生き延びるように」という言葉に矛盾が生じることになると思います。

1.天地創造物語の矛盾(2)

太陽の光が絶対必要なのではない・・・
おなじご意見をすでにいただいていますので、それに対するわたしのコメントを参照して下さい。


2.ノアの箱船の矛盾

この2つの事柄は、すべての「生き物を1つがいずつ」のほかに、「清い動物7つがいずつ、空の鳥7つがいずつ、清くない動物1つがいずつ」という解釈になると思います。
おっしゃっている意味がよくわかりません。「すべての生き物」とは別に「清い動物・空の鳥・清くない動物」が別の動物として区別されていた、ということですか。そうだとしたら、かなり無理な解釈です。

いいですか、一方では、

それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへきて、生き延びるようにしなさい。
もう一方では、
あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物を一つがいずつ取りなさい。空の鳥も七つがいずつ取りなさい。
となっているのです。鳥だけをみても矛盾が明らかです。一方の記述では「それぞれの鳥・・・二つずつ」なのに、他方の記述では「空の鳥も七つがいずつ」となっているでしょう。だから、これらは、異なった二つの伝承(祭司資料とヤーヴェ資料)を不用意に一緒にしてしまった結果と考えられているのです。

ノアが後に生け贄として捧げるのは、「清い動物七つがい」とするヤーヴェ資料の伝承の方だけです。祭司資料では、祭司だけが(つまりアロン以後)生け贄を捧げることができるように書かれています。だから、「すべての生き物二つずつ」とする祭司資料の記述では、ノアは生け贄を捧げないので、「二つずつ」で充分なのです。