創世記一章の創造物語によれば、太陽の創造が地球の創造より後になっていますが、これはいくつかの点で、現代人にとっては、たいへん不合理な説だと思われます。
第三日目に地球に植物、第四日目に太陽
創世記第一章の天地創造の記述によると、神は第四日目(創造の第四番目)に太陽と月と星をを創造します。ところが、それより前、創造の第三日目(創造の第三番目)の記述をみると、その時、地球はすでに存在し、海と陸ができ、しかも植 物も生え出でているのです。すなわち、これによると、太陽が存在するようになる前に、海と陸があり、その上で植物が生殖している地球がすでに存在していたことになるのです。
創世記 1:11-19
神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現われよ。」そのようになった。神は乾いたと ころを地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。 神は言われた。「地 は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのよ うになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさ せた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。
神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の 大空に光るものがあって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光るものと星を造り、大き な方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼 と夜を治めさせ、光りと闇を分けさせられた。神はこれを見て良しとされた。夕べがあり、朝があった。第 四の日である。
ここには、われわれ現代人にとっては受け入れ難い、少なくとも二つの大きな不合理性があります。一つは、いかなる地上の植物も太陽の光なしに生成することは不可能なのに、太陽が創造される以前に地球に植物が生殖しているという主張です。もう一つは、太陽の周りを回る惑星である地球が、太陽が存在する前に存在することが出来たというコペルニ クス以前的考え方です。
97年6月16日
これは矛盾ではありません。
たとえば今日の科学者は、太陽の起源を語る際に、まず最初に熱せられたガ ス体として光を放つ原始太陽ができ、それがのちに収縮すると、核融合によっ て光を放つ現在のような太陽が形成された、と考えています。 つまり、太陽の起源を二段階で語っているのです。はじめに原始太陽は、熱 っせられたガス体として光を放ち、次に核融合が始まって、安定した光を放か つ太陽になりました。
したがって創世記一章で、創造第一日に光が発せられるようになり、第四日 に太陽が形成されたというのも、このような状況であったとも考えられます。 第一日のは原始太陽のものであり、第四日のは核融合による太陽の形成でしょ う。
実際、創世記一・一六の太陽を「造られた」という言葉は、原語ではすで にある材料を用いて何かを作るというような場合によく使われる言葉です。 それは無からの創造というよりは、すでに存在していた原始太陽を、現在の ような核融合によって光を放つ太陽に形成された、という意味にとれるのです (レムナント出版発行『科学の説明が聖書に近づいた』パート1に、さらに詳 しい解説があります)。
97年9月22日
このご批判は、わたしの拙文への直接の批判ではなく、「レムナント誌」の中で、
創世記一章で、光は創造第一日に造られ、太陽は創造第四日に造られてい る。つまり、第一日には太陽という光源がまだなかったのに、光が輝いたこと になる。これは矛盾ではないか。というよく知られた疑問に答えられたものです。したがって、それはわたしの主張に対してはうまく対応していないのですが、聖書の第一日目の「光」の創造の記述と、第四日目の太陽創造の記述とを、それぞれ、「原始太陽の出現」と「太陽の核融合」という二つの現象に対応させる解釈は、吟味してみる価値があります。問題は、聖書の第四日目の太陽創造の記述を、現代の科学の言う「太陽の核融合」現象であるとすると、その前段階である第三日に、地上ですでに植物が生成していたという聖書の記述が成立するか、ということになります。
今からやく46億年前に、銀河系の中のある星間雲のなかで、ガスの濃い部分が重力によって収縮をはじめ、ガス塊の内部はそれによって、加速的に加熱され、やがて、いわゆる「巨大な明るい星」となったと言われていますが、これが「原始太陽」と呼ばれている状態です。その後、原始太陽は、ゆっくりと収縮を続け、約1000万年後、中心部で水素の熱融合反応が始まり、それからさらに数千万年後、わたしたちの知っているような太陽になったとされています。
ところで、原始太陽を取り巻いていた、ガスやチリのほとんどは太陽に吸収されますが、その残りは、いわゆる「原始太陽系星雲」と呼ばれ、太陽の回りをまわりながら、次第に、微惑星を形成してゆきます。その微惑星が相互に衝突合体を繰り返して、大きくなったのが、地球その他の惑星ですが、地球が現在の大きさになったのは、太陽誕生から約200万年後だと言われています。
このようにして誕生した初期の地球は、微惑星との衝突合体や重力による収縮などで、表面が1000度を超える高温の、「マグマの海」と呼ばれる火の玉状態であったとされています。そして、地球が冷却し岩石が出現するのは、地球の誕生から数億年後です。そして、海中にバクテリア類などの原始生命が存在し始めるのが約10億年後、さらに、動植物が地上に姿を現すのは、実に、地球誕生から40億年も経ってからです。
つまり、聖書の第四日目の太陽創造の記述を、原始太陽ではなく、水素の核融合の始まったときと解釈しても、第三日に地上に植物が生成していた、という聖書の記述は、現代科学では、うまく説明できないことになります。
97年9月28日
植物と太陽の創造について ここで主は太陽を創造されたとは言われていません。私は地上から見た創造の物語だと思っています。つまり地球の創造のはじめ水蒸気で地は霧と厚い雲におおわれていて地上からは星も太陽もその姿を見ることができなかったと思います。また今温暖化について騒がれていますが初期の地球では植物がなかった故に現在の金星のように雲でおおわれていたに違いありません。つまり植物のおかげで雲は晴れ月や星そして太陽が姿を現したと考えれば聖書に矛盾はないと思うのですが。
岡崎満
97年9月29日
岡崎さんの解釈では、第四日目に太陽が創造されたのではなく、植物創造以前に太陽は創造されており、第四日目には、すでに造られていた太陽が地上から見えるようになっただけである、ということだと思います。確かに、このように解釈すれば、植物創造との矛盾は解消され、また、第一日の光の創造との矛盾も解消されるかに思われます。
しかし、この解釈には、すくなくとも二つの問題点があります。先ず、第一に、もし第四日目までは地球と太陽が遮断されていたとすれば、太陽のエネルギーを必要とする植物が第三日目にはすでに地上に生成していた、という記述が依然として説得力をもたないことになります。また、植物が生成するに必要な太陽エネルギーは地上に届いていた、というふうな解釈をすれば、第四日目になって始めて太陽が姿をあらわした、という解釈そのものが怪しくなってしまいます。
第二に、岡崎さんが「ここで主は太陽を創造されたとは言われていません」と語られたこととは逆に、創世記は、神が「二つの大きな光るもの」(太陽と月)と星を、第四日目に「造」った、とはっきり記述しています。
創世記 1:16-19この「神は二つの大きな光るものと星を造り」という表現のなかの「造る」(アス)という言葉は、「神は大空を造り」(7節)の「造る」であり、「それぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものを造られた」(25節)の「造る」であり、「われわれに似せて、人を造ろう」(26節)の「造る」であり、「神はお造りになったすべてのものをご覧になった」(31節)の「造る」です。もし、これらの「造る」を、すでに存在していたものが姿を現すようになっただけである、と解釈すると、神は創造者ではなくなってしまいます。もし、太陽や月の創造の記述に関してのみに特別な解釈を施すとすると、それなりの合理的な理由がなければなりません。「聖書に矛盾が出てくるのを防ぐため」という理由以外に、太陽や月の創造の記述に関してだけ特殊な解釈をほどこさねばならない理由があるのでしょうか。また、もしこの「造」は「造」という意味ではないとしたら、なぜ、神は聖書読者が誤解せざるを得ないような言葉を使用したのか、という聖書に対する新たな疑問も生まれてくることになるでしょう。
神は二つの大きな光るものと星を造り、大き な方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼 と夜を治めさせ、光りと闇を分けさせられた。神はこれを見て良しとされた。夕べがあり、朝があった。第 四の日である。
おたより、ありがとうございました。
97年10月8日
創造はbaurauとありこの意味はなにもない所から造ることを意味せず組織するま たは形造るを意味しています。つまりこの創造の物語はこの世界つまり私たちの 住む地球のみの創造の物語でありそれ以前に造られた太陽、月、星は見えるよう になったにすぎないとおもいますがいかがでしょうか。
97年10月19日
第一に、ご意見によれば、まるで、へブライ語には、何もないところから造ることを意味する「つくる」という言葉と、すでにある素材からなにものかを形作るという意味の「つくる」という言葉という、二種類の「つくる」という言葉があって、創世記の著者は意図的に後者を選んだと言われているようですが、ヘブライ語には、何もないところから造ることを意味する「つくる」という言葉などないのです。おそらく人類のどの言語においても、何もないところからものを造ることを意味する「つくる」という言葉はないでしょう。それは、言語が人間によって造られたコミュニケーションの道具であり、人間は、何もないところからものを造ったりしないからです。
第二に、聖書ははっきりと、第四日目に太陽を「造った」と書いてある(1章16節、上記の岡崎さんへの応答を参照)のであって、それが「すでに存在する素材からなにものかを形作る」ということを意味するとしても、すでに植物を育てる太陽として機能している(形作られてしまった後の)太陽が、四日目になって始めて「見えるようになった」という解釈はとてもできません。それは、あきらかに拡大解釈であって、すでに指摘したように、もしそういう拡大解釈がゆるされるなら、同じ語を使用しているすべての部分にも、おなじ解釈をほどこさねばならず、そうすれば、「六日間で創造した」という物語は、すでに創造してあったものが「六日間でひとつひとつ見えるようになった」という物語になってしまいます。それでは、第七日目に「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさった」という言葉の意味が無意味になってしまいます。六日間働いて創造の仕事をし、七日目に休んだ、というのが創世記の物語です。
第三に、第四日目には、まだ人間や動物は創造されていないのであって、「見えるようになった」というのは、いったい誰にとって見えるようになったのか、という問題もあります。
第四に、もし、第四日目に、神は、太陽や月や星を単に「見えるようにしただけ」なら、創造物語の全体的なバランスが崩れてしまいます。たとえば、次のリストを見て下さい。
第一日目:光の創造どう考えても、第四日目の神の仕事は、他の日の仕事に比べて貧弱すぎます。
第二日目:空と海の創造
第三日目:陸地と植物の創造
第四日目:太陽や月や星が見えるようになった
第五日目:魚類と鳥類の創造
第六日目:地上の動物と人間の創造
最後に、この解釈は、文学的構造から見ても無理があります。創世記一章は美しいリズム感をともなった、きわめて高度な文学的構造をもっています。それは、作者がきわめて意図的に、同じ構造を繰り返し利用することによって達成されている文学的効果なのです。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。……夕べがあり朝があった。第一日である。繰り返されている基本構造は、神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上の水を分けさせられ、そのようになった。……夕べがあり朝があった。第二日である。
神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。…夕べがあり朝があった。第三の日である。
神は言われた。「天の大空に光る物あれ。昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた…。夕べがあり朝があった。第四日である。
神は言われた。「…あれ。」そのようになった。神は…を造り……。夕べがあり朝があった。第…日である。です。ここで、「光あれ(第一日)」、「大空あれ(第二日)」、「光る物あれ(第四日)」という一連の表現のなかの「あれ(存在せよ)」という言葉は、「イエヒー」という、同じ態(パアル態)の、同じ時制(指示形)の、同じ動詞です。第四日目だけが、他とは別である(「存在せよ」ではなく、「見えるようになれ」である)と解釈することは、意図的に同じ構造を繰り返している創世記の著者の文学的意図に反する解釈であると考えざるを得ません。
このように、第四日目の太陽・月・星の創造の記録を、すでに存在していた物が見えるようになっただけである、と解釈すると、あまりにも多くの無理が生じてしまいます。
おたより、ありがとうございました。