マルコの福音書によれば、イエスは、サムエル記にある記録を引用するに際して、祭司アヒメレクと祭司アビアタルを取り違える、という間違いを犯しています。 (佐倉さんのコメント)上記の文章が間違いだと指摘します。
というのは、マルコは「祭司」アビヤタル、ではなく「大祭司」アビヤタル・・・と言及しています。一方、サミュエル記では「祭司」アヒメレクが・・・と記されています。「大祭司」と「祭司」の立場を混同するべきではないと思います。したがって、アビヤタルとアヒメレクが親子(そしてアビヤタルが大祭司、アヒメレクが祭司)である、という記述はつじつまがあい、なんら矛盾はないと思います。
たまたまこのHPを見つけたのですが、とてもひねくれていて、面白いと思います。これからも「間違い探し」がんばってください。また暇な時にこのHPを覗かせていただきます。それから、私の先日のコメントや今回のコメントにお返事をくだされば幸いと思います。(だぶん、無視されるでしょうけど・・・。)
1.大祭司と祭司
マルコは「祭司」アビヤタル、ではなく「大祭司」アビヤタル・・・と言及しています。一方、サミュエル記では「祭司」アヒメレクが・・・と記されています。「大祭司」と「祭司」の立場を混同するべきではないと思います。ただ「祭司」と書いているからといって大祭司でないということにはなりません。大祭司もしばしば単に「祭司」と書かれているからです。
たとえば、エリはイタマルの家系の最初の大祭司ですが、「主の祭司をつとめたエリ」(サムエル記上14:3)などと書かれています。また、かの有名な大祭司アザルヤはただ「祭司アザルヤ」(歴代誌下26:17)と書かれています。実際、旧約聖書で、大祭司が「大祭司」と書かれているのは、民数記を除いては、ほとんど見かけません。
新約聖書でも、たとえば、イエスのことを「メルキゼデクとおなじような祭司」(ヘブライ5:6)と書いてあるかと思うと、「メルキゼデクとおなじような大祭司」(同5:10)とも書いてあります。つまり、聖書は旧約聖書も新約聖書も、「大祭司」と「祭司」を混同して書いてあります。したがって、ただ「祭司」と書いてあるからと言って、単純に、大祭司ではないとは言えません。
2.アビヤタルとアヒメレクの関係
したがって、アビヤタルとアヒメレクが親子(そしてアビヤタルが大祭司、アヒメレクが祭司)である、という記述はつじつまがあい、なんら矛盾はないと思います。それは不可能な解釈だと思います。大祭司の職は親から子(通常、長男)へと受け継がれていきます。そして、サムエル記上 22:20には、はっきりと
アヒトブの子アヒメレクの息子が一人難を逃れた。アビアタルという名で、彼はダビデのもとに逃れた。と書かれているからです。つまり、マルコが取り上げている問題の「大祭司アビアタル」は、アヒメレクの親ではなく、「アヒメレクの息子」です。逆ではありません。したがって、「アビヤタルが大祭司、アヒメレクが祭司」ということは考えられません。
マルコは神様ではありません。わたしたちと同じただの人間です。彼も、他の新約聖書の著者とおなじように、旧約聖書を読み違えただけです。間違いは誰にでもあるものです。
3.聖書の間違い探し
これからも「間違い探し」がんばってください。なんども繰り返していますように、わたしの疑問に対する結論(「聖書は間違っており、神の言葉ではない」)はすでに納得できるかたちで得られましたので、いまのところ、これ以上「聖書の間違い探し」を続けるつもりはありません。ただ、みなさんの、ご質問やご批判にはできるだけお答えするつもりです。