あなたのHPを拝見しました。躊躇しましたが、私の意見を述べさせて頂きたいと思います。
あなたは、聖書とキリスト教(その指導者や権威)を「間違いである」と裁いておられます。確かに、もし、それら(聖書とキリスト教)が間違いであるなら、あなたの裁きは正しいし、批判も正しい。聖書への冒涜も、クリスチャンへの侮辱も正しい、という事になるでしょう。(冒涜や侮辱をするつもりがあなたにあるかないかは別として、こちらとしては、そう感じるのは事実ですので・・)
さて、では、もし真の神がいるとして、その神が人間の間違いを裁くなら、それはどうなのでしょう。あなたが、聖書の間違いの故に聖書を裁き、クリスチャンを侮辱する、それが正しいのと同様に、人間の罪の故に、神の裁きの恐ろしさも厳しさ(神が人を殺す、という事)も正しい、という事になるのではないでしょうか。幸いに、あなたは、「神はいない、と言い切ってはいない」と言っておられるので、考える余地のある事だと思います。
ただ、見過ごせないのは、あなたが批判的な文脈の中で「神」と言う場合、その「神」とは、麻原に代表されるような「神の権威を笠に着た罪深き人間」の事であるように思える事です。そんな新興宗教の教祖達の事ではなく、あなたがかつて願ってやまなかった、そして哀しくも体験出来なかった、そして、今も、否定はしていないと言う、生きて働かれる真の神が愚かな人間を裁く、という事を前提にして、その是非について、を考えて頂きたいと思います。
現時点において、聖書の神が、「人を殺せと命じる恐ろしい神」であるとおっしゃるなら、それでも結構です。しかし、人間は、その神を「悪だ」と裁く事が出来るほど立派なのでしょうか。あなたのように、「神の言葉に従わず、自分の良心に従う」という立場の人が大多数を占めているこの日本で、聖書の記述など足元に及ばないほどむごたらしい犯罪が日常的に行われています。私が思うに、人間は神ではありません(当然ですが・・)。神以下です。だから、人間が神を裁いてはいけないのです。あなたが、自分を神のようにしてしまわないように、と願わずにはおれません。(勿論、そんなつもりはない、とおっしゃるでしょうが、客観的に見て、危険性はあります)
このような私の考えをどう思われますか?
人間は、その神を「悪だ」と裁く事が出来るほど立派なのでしょうか。・・・私が思うに、人間は神ではありません(当然ですが・・)。神以下です。だから、人間が神を裁いてはいけないのです。おっしゃる通りです。神が聖書の神のような存在だとすると、人間は神を裁くことはできません。このことについてはすでにわたしの考えをまとめていますので、ぜひそちらを参照してください。「作者よりAkihiro Kikuchiさんへ 97年10月30日 (3)神の責任」です。
わたしが吟味・批判の対象としているのはもちろん神ではありません。わたしが吟味・批判の対象としているのは人間の言葉を神格化し絶対化する聖書主義であり、「自分は神(の意志や言葉)を知っている」と豪語する人々の主張です。