佐倉様こんばんは、おひさしぶりです。

随分、久方ぶりに覗いたのですが、 以前の私の投稿によって、Nobuhiro Kiharaさんに不快感を与えてしまったようで、 その点に関しまして、Nobuhiro Kiharaさんと佐倉さんに深く謝罪致します。

ただしかし、私が述べているのは、

第一に、(疑似)科学を用いて聖書に間違いはないと主張する人々がいる。 こう いった主張を吟味し反論する為に科学を用いる事は当然です。
の通り、疑似科学を用いる聖書盲信者に対しては、科学をもって反論すべしは当然と いう事であり、 以下に続く文章は、これを土台にしているつもりだったのですが、 どうやら、Nobuhiro Kiharaさんには、 ご自分がトンデモ呼ばわりされているという、 誤解を与えてしまったのですね、本当に申し訳ありません。

書き方が悪かった点もあると思いますが、 あくまで「疑似科学を用いる聖書盲信者」がトンデモなわけで、 「なんで、トンデモさんに反論するのに科学を用いるのは無意味なんですか?」 と言いたかったわけです。 佐倉さんの私へのお返事をご覧になっていればお解り頂けると思うのですが。

科学が神についてどうこう言えるわけないのは、良く存じております。 私は、科学教信者でも、佐倉教信者でもありません。 敢えていうならば、エホバの証人と交流があった者です。 故に彼等の主張を良く聞かされており、又、様々な資料を所持してもおります。 彼等が単に、聖書の盲信を奨励しているだけならば、 科学を用いた批判は的はずれですが、 彼等は様々な疑似科学を用いた布教活動を行っております。 これが佐倉さんがNobuhiro Kiharaさんへのお返事にも書いておられる、 「科学が神を語ったからではなく、聖書が科学の研究対象の領域について語っている」 という例の一つではないでしょうか?

改めて、前回の私への佐倉さんのお返事も引用致します。

科学が聖書に不利な発言をするときは「科学は不完全である」などという批判をす るくせに、科学が聖書に有利な発言をするときは、なりふりかまわず、「だから聖書 は真理だ」などと喜ぶ、そんなクリスチャンの感覚には、いつもいつも、考えさせら れます。
Nobuhiro Kiharaさんさんが、「そんなクリスチャン」ではないのでしたら、 何ら心外に思われる必要はありません。