このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
00年5月12日
私は聖書の信頼度は古事記と同程度ではないかと考えます。 記述には多くの矛盾があるからです。
復活について
その1
マタイの書のなかにサドカイ人は「復活はない」と言っていますが、1世紀当時に存在してい た聖書の中にはエリヤとエリシャが復活させた3人のことが記録されています。サドカイ人は 聖書を信じていなかったことになります。
その2
ヨブは10人の子どもをサタンによって殺されました。神が復活させることができたならなぜ 、試練が終わった後復活させなかったのでしょうか。親であればいくら、子どもが生まれたと しても死んでいった子どものことは忘れないはずです。
エバ、ダビデ、アナニアとサッピラについて 聖書の中には女(エバ)は騙されたと有ります。 ダビデはバテシバの件でウリアを間接的に殺害しました。それは故意に行ないました。 アナニアとサッピラは嘘をつきましたが、それは自分をよく見せようとしただけであり、誰に も迷惑をかけていません。 これらの人たちに関する裁きは
エバ 死刑 ダビデ 言葉により叱責と子どもの死 アナニアとサッピラ 死刑騙されて罪を犯したり嘘をついた場合が死であるのにたいし、人を殺した場合に死刑とならな いのはなぜでしょうか。
この場合次の二通りが考えられます。
(1)聖書のある部分は作り話である。 (2)神は気まぐれである。
00年6月11日
復活はユダヤ教の中でも新しい思想で、ユダヤ人の聖書(旧約聖書)にはありません。いわゆる、西暦前2世紀前後に現れるようになった聖書外典や儀典、およびその伝統から生まれた異教であるキリスト教の新約聖書など、新興宗教の思想のなかで生まれた思想です。サドカイ人は復活を信じていなかったのは事実だと思います。
ダビデに対する聖書の態度が不正とも思えるほど甘いのは、聖書の重要な部分がダビデ王家専属の神学者によって書かれているからでしょう。いわゆるJ資料と呼ばれている部分で、ダビデは神によって選ばれて王になったとか、神は決してダビデ家を見捨てないとか、イスラエルを救う王(メシヤ)は必ずダビデの子孫から出るとかいった思想は、みなこの流れを汲む、いわば「皇室思想」です。聖書(J資料)におけるダビデ王家は日本における皇室を思い起こさせます。
「聖書のある部分は作り話である」というのは、もう、あまりにも明かと言えます。
おたより、ありがとうございました。