佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


  ホー  キリスト  聖書の間違い  来訪者の声 

湯川 勇太さんより

00年4月15日

偽典について

お返事の中に天使について聖書ではその創造について書かれていないとありましたが、偽典なるものにあるそうです。私は深く知りませんので、

http://urawa.cool.ne.jp/seraph/index.html

が非常に詳しかったので見てみるのも面白いと思います。 また、偽典についてお考えがあれば聞かせてください。  





作者より湯川さんへ

00年4月29日

偽典についてお考えがあれば聞かせてください・・・

「モーセの遺訓」「ヨブの遺訓」「モーセの黙示録」「ソロモンの詩編」「ペテロの福音書」「ペテロの黙示録」など多数が「偽典」としてよく知られています。なぜ、それらが偽典と呼ばれるかと言えば、それらはみんな著名な古人の名を借りて無名の人々が書いた偽名の書(pseudepigrapha)だからです。どうして、そんなことが起こったのかを知るためには、歴史的背後を知る必要があります。このことについては、簡単に「ユダヤ教の黙示的終末思想」に述べていますので、参照してください。

「外典」と「偽典」が混同されることがありますが、語源的に言えば、二つは関係ありません。「外典」とは「正典」に入らなかった宗教書のことであり、「偽典」とは本人ではないのに本人が書いたかのように偽名を使って書かれた宗教書ですから、「外典」のなかには「偽典」でないものもあり、「正典」のなかにも「偽典」があります。そして、何が「正典」であるかは、各時代の各地域の各団体でことなっており、客観的な根拠はまったくありません。たとえば、新約聖書に納められている27書は、ユダヤ教徒からみれば、すべて「外典」です。カトリックのクリスチャンが「正典」として認めている多くの書は、プロテスタントのクリスチャンにとっては「外典」です。つまり、「聖書は神の言葉だ」などと言うけれど、何が聖書かは勝手にそれぞれの団体や宗派が勝手に決めているわけです。(「聖書とは」を参照してください。)

なお、「正典」の中の「偽典」には次のようなものが有名です。旧約聖書の正典の一部となっている「ダニエル書」の一部(7章以降)は前2世紀にダニエルを名乗った別の人物による「偽典」です。イザヤ書も、40章以降は別の人物(「第二イザヤ」「第三イザヤ」などと今日呼ばれている)がイザヤを名乗って書いた「偽典」です。また、新約聖書の牧会書簡(「テモテへの第一の手紙」「テモテへの第二の手紙」「テトスへの手紙」)は何れもパウロの名を名乗った別の人物による「偽典」です。

さらに、それ自体は「偽典」でもなく「外典」でもなく、ちゃんと「正典」として認められているものの中には、たとえば新約聖書の「ユダの手紙」のように、後に「偽典」として見放された「エノク書」を、てっきり「神の言葉」だと信じ込んで正典扱いしているという事実もあります。(「ユダの手紙」の著者の無知、を参照)そのうえ、このあやしげな「ユダの手紙」の内容をそのまま孫引きして書かれたところの「ペテロの第二の手紙」(これもペテロの名を利用して書かれた別の人物による偽典)も、新約聖書の正典に含まれているという乱れようです。


おたより、ありがとうございました。


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