多くのクリスチャンは、彼らの持っている聖書以外の書には「神の言葉としての権威」を認めません。聖書だけが神の言葉なのです。しかし、その聖書に収められている「ユダの手紙」の著者は、後にユダヤ教やキリスト教が偽典として否定した書のひとつ「エノク書」を、明らかに神の言葉として引用しているのです。
ユダの引用
新約聖書には「ユダの手紙」とよばれる短い書が収められています。それは「イエス・キリストのしもべで、ヤコブの兄弟であるユダ」がその著者となっています。彼はこの中で、エノクの預言として次のように書いています。
アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は数しれない聖なる者者たちを引き連れて来られる。それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」ここに言及されているエノクというのは、創世記5章に現れる人物ですが、創世記には、エノクがイエレドから生まれ、メトシェラや他の子供を生み、965年間生き、そして「神が取られたのでいなくなった」、というようなことを簡単に書いてあるだけで、エノクの言葉として残された預言などどこにもありません。「ユダの手紙」の著者はいったいどこから、エノクの預言の言葉を持ってきたのでしょうか。それは「エノク書」という書の1章9節の直接引用なのです。ところが、この「エノク書」なるものは、後にユダヤ教からもキリスト教からも、偽物であるとして拒否された「偽典」の一つなのです。
多くのクリスチャンは、彼らの持っている聖書以外の書には「神の言葉としての権威」を認めません。聖書だけが神の言葉なのです。しかし、その聖書に収められている「ユダの手紙」の著者は、後にユダヤ教やキリスト教が偽典として否定した書のひとつ「エノク書」を、明らかに神の言葉として引用しているのです。つまり、聖書を信じるクリスチャンと聖書の著者との間に、なにが神の言葉であるかについて不一致があるのです。どちらが正しいのでしょうか、もし聖書がすべて正しい(つまり、ユダの見解も正しい)とすれば、我々に伝承されてきたところの聖書だけが神の言葉であるというキリスト教の主張は間違いとなります。もし聖書だけが神の言葉であるというキリスト教の主張が正しければ、その聖書を書いた一人であるユダは間違って「エノク書」を神の言葉と信じていたことになり、聖書はすべて神の言葉であり、間違いを含まないという主張が崩壊します。