その昔、キリスト教(だったかユダヤ教だったか…、あるいは当時の西洋文明ほとんどだったかも知れませんが)では、一日の始まりは正午で、(現代で言うところの)午後→夜→午前……という数え方をしていた、ということです(私が読んだ雑学知識では、「そして、イブというのは前日のことではなく、その日一日の前半を指す言葉だった……つまり、クリスマス・イブは(現代の)24日全部ではなく、24日の午後から夜のことを指す」と言った風に書かれていました)。これが本当ならば、イエスの予言はおおむね間違っていないことになります。
佐倉さんは、安息日=(現代の)土曜日としていますが、たぶんこれは(現代の)土曜日午後から(現代の)日曜日午前だと思われます。イエスが処刑されたとされる日は安息日の前日の(現代での)午後……つまり、「準備の日」の前半日です。また土の中から出て来たとするのは、週の初めの日=安息日の次の日=(現代の)日曜午後から月曜午前……の“朝”です。つまりイエスが土の中にいた期間は、現代の暦で言うと、金曜の午後から月曜の朝まで、ということになります。2日と半日以上、おおよそ61時間ぐらい(夕方を午後5時、朝を午前6時と解釈して)。
今の人の感性で言えば、「11/1が始まってまもなく起こり、11/3の夕方に終わった」ことを「三日間かかちゃったよ」と表現してもおかしくないくらいには、「3日3晩」の表現は、おかしくないと思います。たとえ「3日」が正しくないとしても、少なくとも「3晩」かかったことは間違いありません。
現代暦 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | 月曜日 | ||||
午前 | 午後 | 午前 | 午後 | 午前 | 午後 | 午前 | 午後 | |
ユダヤ暦 | 準備日 | 安息日 | 週初日 | |||||
処刑 | 復活 |
……と、まあ、これが今回の『指摘』です。意見ではありませんし、ファンダメンタリストの片棒を担ぐ気は更々ありません。ただ、ちょっと気になったので、こうやってメールを送らせてもらいました。
確かに、おっしゃられる通り、ユダヤ人の暦(現代でも同じ)によりますと、安息日(やその他の祭日)の始まりは、現在わたしたちが一日の始まりだと考えている、夜明けでも夜中の0時でもありません。
しかし、安息日は「(現代の)土曜日午後から(現代の)日曜日午前」ではありません。安息日(土曜日)は「前日の日没」から始まります。したがって、正確に言うと、安息日は前日(すなわち金曜日)の日没から、当日(すなわち土曜日)の日没まで、ということになります。わたしが現在住んでいる地域には多くのユダヤ人も住んでおり、毎週の土曜日(安息日)の午前中には、礼拝のために正装してぞろぞろ歩いてゆくユダヤ人たちの姿が窓の下に見えます。自動車に乗るのは労働とみなされるために、安息しなければならないと決められているこの日はみんな歩いて彼らの集会所にいくのです。
この月の九日の夕暮れから翌日の夕暮れまでを安息日として安息しなさい。(レビ記 23:32b)
福音書の記述によれば、イエスは準備の日(金曜日)の午前九時ごろには十字架に付けられ、午後三時頃その十字架上で息を引き取った、ことになっています。
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。・・・昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」という者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。(マルコによる福音書 15:25-37)そして、イエスの死体はその日(準備の日)の夕方墓の中に埋葬されます。
既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるように願い出た。・・・ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から下ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に収め、墓の入り口には石を転がしておいた・・・。(マルコによる福音書 15:42-46)ヨハネの福音書によると、アリマタヤ出身のヨセフがピラトに願い出る前に、ユダヤ人達がイエスの遺体を十字架から下ろすようにピラトに願い出ています。「翌日は特別の安息日であったので・・・安息日に遺体を十字架の上に残しておかないため」だというのです。
その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り下ろすように、ピラトに願い出た・・・。その後、・・・アリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。・・・イエスが十字架に付けられたところには園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日は準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。(ヨハネによる福音書 19:31-42)ここで、「安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために・・・」とか「その日は準備の日であり、この墓が近かったので・・・」という記述から、安息日の始まりが近づいているから、急いでイエスの遺体を十字架から降ろして埋葬しなければならない、とかれらが考えていたことわかります。安息日はその日(準備の日=金曜日)の日没から始まるからです。ルカによる福音書はそのところをもっと明確にしています。
[アリマタヤ出身のヨセフは]遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだ誰も葬られたことのない、岩に掘った墓のなかに納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。(ルカによる福音書 23:53-54)すなわち、イエスが埋葬されたのは、「準備の日」であり、「夕方」であり、「安息日が始まろうとしていた」時間帯です。以上のことから、福音書の記述に従えば、イエスが埋葬されたのは、準備の日(金曜日)の午後三時からその日の夕暮れまでの間、安息日が始まる直前であったことがわかります。
次に、イエスの復活した時を調べてみると、それは「週の初めの日朝早く」であった、と記述されています。
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。・・・イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアにご自身を現された。 (マルコによる福音書 16:1-9)つまり、イエスの復活はおそくとも、週の初めの日、すなわち日曜日の「朝早く」であったことになります。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料をもって墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。(ルカによる福音書 24:1-3)
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペテロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました・・・」(ヨハネによる福音書 20:1-2)
これらをまとめて見ますと、つぎのような表になります
現代暦 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | |||||||||
早朝 | 午前 | 午後 | 夕夜 | 早朝 | 午前 | 午後 | 夕夜 | 早朝 | 午前 | 午後 | 夕夜 | |
ユダヤ暦 | 準備日 | 安息日 | 週初日 | |||||||||
十字架上 | 墓の中 | 復活 |
これらのことから、イエスが墓の中にいた期間の上限は金曜日の午後三時から日曜日の正午の間でなければならないことがわかります。すなわち、
金曜日の午後三時から夜中まで・・・・ 9時間 土曜日のまる一日・・・・・・・・・・ 24時間 日曜日の朝の0時から正午まで・・・・ 12時間 --------------------------------------------- 上限・・・・・・・・・・・・・・・・ 45時間イエスが墓の中にいた期間はこれ以下でなければなりません。つまり、福音書の記述に従えば、イエスが墓の中にいた期間は45時間以内、つまり、まる二日(48時間)よりも少なかったことになります。実際は、イエスが墓に納められたのは金曜日の午後三時(イエスが息を引き取った時間)よりも、日没の時間に近く、イエスが復活したのは日曜日の正午よりも夜明け時に近いのですから、ほぼ次のような時間に近かったと言えるでしょう。
金曜日の日没(6時頃)から夜中まで・・ 6時間ぐらい 土曜日のまる一日・・・・・・・・・・・ 24時間 日曜日の0時から早朝(7時頃)まえ・・ 7時間ぐらい --------------------------------------------- 想定・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37時間ぐらい37時間とは、24時間と13時間です。およそ一日半です。とても、イエスが予言したような「三日三晩」とは言えません。「三晩」というのも明らかに間違っています。イエスは墓の中では、金曜日の夜と土曜日の夜、合計二晩しか過ごしていないからです。
このために、福音書の復活物語は、イエスが自分で墓の中に「三日三晩」いるであろう、と生前予言しておきながら、自分でその予言の約束を破って、約一日半で墓からさっさと出てきてしまう、というたいへん滑稽で、イエスにはとても気の毒な物語になってしまっているのです。マタイが、イエスがそう予言したと書いてしまった(「イエスの死とその予言」)のが原因です。