聖書の間違い

天地創造物語の矛盾(一)

--- 創造の順序の矛盾 ---

佐倉 哲


創世記には二つの天地創造の物語がありますが、その間に矛盾が存在しています。



二つの創造物語が一致しない

聖書は創世記第一章で「 初めに、神は天地を創造された」という天地創造物語で始まりますが、実は、この創造物 語が終わったあと、第二章において、「ヤーウェ神が地と天を造られたとき」という始まりで、二つ目の、しかも内 容の異なる、創造物語がまた語られます。しかも、この二つの創造物語の間に、創造の順序に関して矛盾があります。創造の順序に注意して、まず第一の創造物語を調べてみましょう。第三日に草木、 第五日に魚や鳥、第六日にまず 動物、そして最後に人間が造られるという順序になっています。

創世記 1:1-23
初めに、神は天地を創造された。.....
神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの 種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。.....
神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空 の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、動きめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」夕べがあり、朝があった。第五の日である。
神は 言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。.....神はこれを見て良しとされた。神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかた どって人を創造された。男と女に創造された。.....
神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

次に、第二の創造物語をみてみましょう。ここでは人(アダム)が造られた後に草木や動物が造られ、最後に女(エヴァ)が造ら れるという順序になっています。

創世記 2:4b-22a
ヤーウェ神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。 ヤーウェ神が 地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出 て、土の面をすべて潤した。 ヤーウェ神は土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹き入れられた。人はこ うして生きる者となった。 ヤーウェ神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれ た。 ヤーウェ神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生え出でさせ、 また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生え出でさせられた。..... ヤーウェ神は人を連れて来て、エ デンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。..... ヤーウェ神は言われた。「人が独りでいる のは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」ヤーウェ神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形造 り、人のところへもって来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて生き物 の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけ ることができなかった。ヤーウェ神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、肋骨の一部を 抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取った肋骨で女を造り上げられた。
つまり、第一の創造物語では植物と動物が造られた後、人間(男女)が造られます。しかし第二の創造物語では、男(アダム)が造られた後、植物と動物が造られ、そして最後に女(エバ)が造られるのです。

第一の創造物語 植物 --> 動物 --> 人間(男女)
第二の創造物語 男(アダム) --> 植物 --> 動物 --> 女(エバ)

現代聖書学の成果によれば、いくつかの重要なことがわかっています。たとえば、この二つの創造物語の間には、内容の不一致だけでなく、語彙使用の相違、文体の相違なども同時にあらわれていて、もともと別々の著者によって書かれたものであると考えられる強い根拠となっているのです。創世記は重複の多い書ですが、創造物語はその代表の一つです 。重複の理由はそれがもともと別々の著者によって書かれていたものが、後の世に一つの物語にまとめられた、という歴史があるからです。

上述の二つを比べて見ると、次のような特徴がみえて、それが別々の著者によるものであることはっきりわかります。まず、神の呼び方が違います。第一の物語では一貫して、創造主をただ「神」と呼ぶのですが、第二の物語では必ず「ヤーウェ」という 神の名前を使用しています。次に、使用されている語彙が違います。例えば、 第一の物語で使用されている「バーラー」(創造する)というヘブル語が、第二の物語では決して使用されていません。

また、文体も違います。 第一の物語は荘厳で繰り 返しの多いリズミカルな詩的文ですが、 第二の物語は散文です。また、両者には深い神学的相違があります。 第一の物語では、神は人間の手の届かない、遠い天のかなたに君臨する何か抽象的な想像を絶する絶対者として考えられていますが、 第二の物語では、人間が粘土から土器を作るように「土の塵で人を形づくり」、人間のように「息を吹き入れ」た り、人間と自由に会話したりする、きわめて「人間的な」神です。

現代聖書学の研究の成果によると、 第一の物語は祭司資料(P資料)に属するものであり、西暦前六世紀のユダ王国滅亡前後、祭司階級の著者よって制作されたものである、と推定されています。第二の物語はヤーウェスト資料(J資料)に属するものであり、西暦前十世紀以降、ダビデ・ソロモン王朝(南朝ユダ王国)に関係を持つ者によって制作されたものである、と推定されています。したがって、上述の創造順序の食い違いやその他の例における多くの矛盾は、それが時代をかなり隔てて別々に成立した資料であることから生じているといえるでしょう。



久保有政さんからのご批判

97年6月16日

創世記一章と二章の内容は、矛盾していません。  二章は、一〜三節までと、四節以降の二つの部分に分けられます。  一〜三節は、天地創造の第七日について記していますが、これは内容的には 、一章における天地創造六日間の記録に続くものです。一章と二章三節までは 一つのものなのです。

一方、二章四節以降は、神の天地創造を述べながら、とくに創造第六日の人 の創造に関して詳しく記した記事となっています。  「これは天と地が創造されたときの経緯である。神である主が地と天を造ら れたとき、地には、まだ一本の野の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出し ていなかった。……その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻 にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。……  神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼の あばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。こうして神である主は 、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げられた」(二・四〜二二) 。

これは、一章では述べきれなかった創造第六日の人の男女の創造を、詳しく 記したものです。

同様に、二章では人の創造のあとに動物が造られているという主張も、読み 違いです。  「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたと き、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られ た」(二・一九)。  この記述は、人の創造後に動物が造られたと述べているのではなく、すでに 造られていた動物たちが、人の創造後になって「人のところに連れて来られた 」と述べているに過ぎません。

このように創世記一章と二章の間には、何ら食い違いや矛盾はありません。 二章は、一章の一部分を詳しく記したものです。


作者より久保有政さんへの応答

9月22日

第二章の創造物語によれば、人(アダム)は、次のように、植物が造られる前に造られます。

ヤーウェ神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。 ヤーウェ神が 地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出 て、土の面をすべて潤した。 ヤーウェ神は土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 ヤーウェ神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 ヤーウェ神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生え出でさせ 、 また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生え出でさせられた。

また、「すでに造られていた動物たちが、人の創造後になって『人のところに連れて来られた』と述べている」 のではなく、人(アダム)が一人でいるのはよくないので、神は動物を造り始めます。

ヤーウェ神は人を連れて来て、エ デンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。..... ヤーウェ神は言われた。「人が独りでいる のは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」ヤーウェ神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形造り、人のところへもって来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて生き物 の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけ ることができなかった。ヤーウェ神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、肋骨の一部を 抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取った肋骨で女を造り上げられた。
このように、創世記第二章の創造物語では、人(アダム)が造られたあと、植物と動物が造られ、最後に女(エバ)が造られます。これは、第一章の創造物語の順序と異なっています。

また、「[二章の創造物語は、]一章では述べきれなかった創造第六日の人の男女の創造を、詳しく記したもの」、というようなことでは説明できないさまざまな相違(神の呼び方、言語使用、など)がここにはあり、これらの相違のもっとも合理的な説明は、やはり、この二つの創造物語はもともと別々の伝承であった、と思われます。そして、これらの物語がもともと独立した伝承であるならば、そこに矛盾があっても、少しもおかしくはありません。むしろ、そのほうが自然だと思います。