引き続き、匿名です。上巻の続きです。

皆一生懸命学んでいる仏弟子です。本当に真剣です。仏法流布に命懸けているんです。一年半無駄にしたとありましたが、あなたは与える愛については学ばなかったのですか?会員さんの熱い、純粋な思いは、少しも胸に響かなかったのでしょうか?

確かに一生懸命なことは認めます。しかし、だからといって必ずしも彼らの行動を賞賛することはできません。なぜならば、彼らの主義主張に私はもはや賛同できないからです。「熱い、純粋な思い」といわれるのでしたら、KKK団やネオナチも負けず劣らず熱くて純粋で一生懸命だと思います。しかし、私はKKK団やネオナチに賛同する気にはなれません。それと同じ理由で、私は幸福の科学の教義にもはや賛同できません(脱会理由その3参照)。

あなたのおっしゃる「与える愛」というのは「大川隆法(中川隆)が再誕の仏陀であるという事実を押し付ける『押し付けの愛』『おせっかいの愛』『大きなお世話の愛』『自分は正しいのだ、と盲目的に信じている大いなる勘違いの愛』」としか思えません。学ぶべきものではありませんでした。

会員さんが受け入れてくれないんじゃないかだなんて、取り越し苦労です。

当時私は、「下手なことを言ったら殺される!」という恐怖を植え付けられていたのです。集会に行くときは、死刑台にでも赴くような気持ちでした。これは誇張でもなんでもありません。当時は本当にそう思っていたのです。

もっと純粋に学んで欲しかった幸福の科学の教えは自分を知的に見せるためにあるのではないのです

(この文章の真意は、ちょっと後の部分を読むとよくわかりますね。後述しておきますから、ちょっと待ってください)

純粋なその心がまずなければ、なんにもならないのです。

ここで少し引用をさせてもらいましょうか。『マインド・コントロールの恐怖』(スティーブン・ハッサン著,恒友出版)より。

「多くの破壊的カルトがそのメンバーに、「幼な子のようになれ」と教えるのは偶然ではない。成人も、批判的能力をほとんど、あるいはまったくもっていなかった幼児期へと、たやすく退行できる。子供のころ私たちは、究極的権威である両親に、なすすべもなく依存していた。」(93ページ19行目から94ページ1行目まで)
「純粋な心をもて」というのは、信者を無批判にさせるためなのですね。
あなたが学生部の集いへ行かれて法談の時に適当に話してウケが良かったのは、あなたが真理に適った話をしたからでしょう

ちょっと待ってください。私は「適当に話した」なんて言ってません。「殺されるかも」という恐怖から、「必死で」話したのです。ちゃんとそう書いたでしょう?

(ただその時のあなたの心が真理に適っていたとは思えませんが・・・)

その、「真理に適った心」とはどういうものでしょうか?

1.大川隆法(中川隆)が再誕の仏陀だと信じている
2.大川隆法(中川隆)の言うことは、絶対に正しいと信じている
3.大川隆法(中川隆)の言うことすべてを、無批判で受け入れる

これらの条件を満たしている心のことですか? もしそうだとしたら、確かに当時の私の心は「真理に適っていた」とはいえなかったでしょう。そして、これからもそんな心は持ちたくありません。

皆心が読めるわけではありませんので、たとえあなたが創った話でも感動することはありえます。

ふむふむ、なるほど。つまり、こうとも言えるわけですね。

「大川隆法(中川隆)も心が読めるわけではありませんので、たとえ五島勉(ご存知『ノストラダムスの大予言』シリーズの作者)が創った話でも信じることはありえます。(そして、その話をパクって本を書いてしまうこともあります)」

あはは(笑)。さあ、ここで

もっと純粋に学んで欲しかった幸福の科学の教えは自分を知的に見せるためにあるのではないのです

この文章の真意がわかるのです!つまり、大川隆法(中川隆)氏は、自分を知的に見せるために「ノストラダムスの新予言」「ノストラダムス戦慄の啓示」を書いたわけではなかったわけですね。(しかしその割には『太陽の法』新版では、自分がいかに知的だったかを延々書いているのはなぜだろう? 旧版とはぜんぜん違うんですよね、この部分。ヤフーの掲示板に詳しく出ているので、見てみるといいでしょう)

でも、私が問いたいのは、そんなことを平気でしたあなたの心です。こんなことで感動していると他の人をみたあなたの心です。

ですから、平気でやったわけじゃありませんってば。怖かったんですよ、ものすごく! 

ご自分でも良く原因がわからないからマインドコントロールとおっしゃいますが

原因はわかります。気持ちの整理のために脱会後『マインド・コントロールの恐怖』(スティーブン・ハッサン著,恒友出版。前掲書)を読んで「幸福の科学はマインドコントロールを行っている」という確信をもちました。訳者あとがきに「幸福の科学には、マインドコントロールの要素はあまりないように思う」(359ページ)と書いてあるけれど、実際は違いますね。まだこの本が出たころには地下鉄サリン事件前ですから、そういう認識しかなくても仕方なかったかもしれません(初版発行は1993年4月。地下鉄サリン事件は1995年3月)。具体的にどうか、と書くと長くなるので、ここはとりあえず、113ページからの「マインド・コントロールの4つの構成要素」を読んでみてください。「行動コントロール」は、私の場合は特になかったけれど、「思想コントロール」「感情コントロール」「情報コントロール」は見事に当てはまります。ぜひお読みください。(と言っても、信者の方々に言わせれば「それこそこじつけじゃないか!」と言われてしまうかも?)


以上です。「脱会の理由」も読んで下さいね。