こんにちは、はじめまして、Yasuko Satouさん。匿名で投稿したものです。反響を寄せてくれてありがとうございます。
私の記述が正確でなかったから、いろいろと誤解があるようです。もうちょっと詳しく、私の入会と脱会の敬意をお話しますね。
[入会から脱会までの経緯] 1997年4月 高等学校第3学年に進学 センター試験の科目に倫理を選択。 内村鑑三「後世への最大遺物・デンマルク国の話」(岩波文庫) 三浦綾子「塩狩峠」(新潮文庫) を読み、感銘を受ける。このころから、宗教的なものに 対する興味が芽生え始める。 1998年3月 高等学校卒業 とある大学にいったん進学したが、やめて後期から予備校に通う。 浪人中、予備校の近くの本屋で、幸福の科学の本を見つける。 そのときは「すばらしい」と思った(注1)。 「晴れて大学に合格したら教団の活動に参加したい」と思った。 1999年4月1日 早稲田大学入学 学生部の勧誘を受ける。前述の事情もあり、ここぞ とばかりにそれに飛びつく。 5月8日 入会(三帰請願) 8月 幸福の科学学生部の合宿に行く(注2)。 9月 山本弘『トンデモノストラダムス本の世界』(宝島社文 庫)を読み、教団に疑問を感じ始める(注3)。 それから約半年間、本当に正しいかどうかを調べる。 そして、会員たちが 進化論を「本当に」信じていない という事実を知る(ダーウィンが無間地獄に落ちたとか いうのは、最初はギャグかと思っていたのだが・・・) さらに、フライデー事件でのイタズラ電話、エンドレス FAXといった反社会的行為を知る(内部情報では美化 されていた)。そして、ついにこの宗教が信じられなく なる。ショックを受けて落ち込む。 *ちなみに、最初の投稿に書いた「こじつけ事件」は、 12月頃(だったかな?)にあった、同学年の学生だけ 集まる会合のときの出来事(注4)。 2000年4月 新学年始まる。すでに気持ちは離れていたので、新入生 勧誘には参加せず。 7月 落ち込みを引きずっての前期試験。前よりは立ち直って いたものの、専門選択科目の単位をひとつ落とす。 夏休み中、以下の本を読み、正式に脱会の決心をする。 と学会『トンデモ本の逆襲』宝島社文庫 と学会『トンデモ超常現象99の真相』宝島社文庫 志水一夫『大予言の嘘』データハウス 別冊宝島編集部『「カルト」の正体。』宝島社文庫 カール・セーガン『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』新潮社 9月1日 脱会 後期、学校始まる。落ち込みがまだ続いていたので、 学生相談室に行く。精神科を紹介してもらう。そこで 「実は幸福の科学に入っていて、このたびやめた」と 言う。PTSDおよび荷降ろしによる鬱状態という 診断結果。SSRIを処方してもらう。 現在、通院中、薬服用中。
(注1)『太陽の法』の最初のほうにかいてある以下の文章にコロリとだ
まされてしまった。
「二千五百数十年前に、インドで、ゴータマ・ブッダ、すなわち、釈迦が説いた教えは、まったくのうそであったのでしょうか。・・・(中略)・・・そうではないはずです。それは、未発達の人間が考えついた教説ではなかったはずです」「・・・(前略)今から二千年前にイエス・キリストが解いた神理も、同様に空言だといいけれましょうか」「神を目の前に出して見せるなら信じるという、一見、科学的合理主義者に対して、私は言いましょう。釈迦やキリスト(旧版ではモーゼという名前もあったのだが、なぜか新版にはない)という人類数千年の歴史が誇る偉人に対して、あなた方は、脱帽敬礼をしてから、そのことばを発しなさい、と。人類数千年の歴史が、「尊敬」の二文字をふしつづけてやまない彼らの教説を一笑にふす自信があるならば、彼ら以上の人格者であることを、まず、あなた方が証明してごらんなさい、と」『太陽の法』大川隆法著(旧版には・・・の括弧は引用者による)
しかし、冷静に考えてみれば、「釈迦やキリストの教えを最初からくだらないと決めつけるべきではない」という主張はいいけれど、だからといって「仏陀の生まれ変わりである中川隆氏を崇め奉れ」では論理が飛躍しています。なぜならば、中川氏が釈迦の生まれ変わりであるという信頼できる証拠がないのですから。
(注2)この時、映画『ノストラダムス戦慄の啓示』のワンシーンを見せられる。そのときに見せられたシーンが実は・・・(注3に続く)
(注3)この本に紹介されている「プールつきの豪邸に生まれた障害児」の出てくるシーンだったのであります!
(注4)「なんだよ、書き込みにはこれがきっかけで教義に疑問をもつようになった、とあったのに、実際には9月に『トンデモノストラダムス本の世界』を読んだ時からじゃないか。嘘ついたのかコノヤロー」嘘ついたわけじゃありません。それを読んだときから、例の「こじつけ事件」が起こるまでの間、「ひょっとしたらインチキ宗教では?」いう疑問は絶えず頭の中にありました。しかし、「そ、そんなはずはない! 総裁先生が間違っているなんてことがあるものかッ」といった具合に、無理やりその疑問を押さえつけていたのです。それが、こじつけ事件で「やっぱり間違っているのでは?」と思うようになったわけです。
私の入会から脱会までの経緯は、以上のごとくです。
Yasukoさんのご意見に対しては、これ以上書くと長くなるので、別の文章でお答えします。