こんにちは。

私は、高校生の時に幸福の科学の会員になった者です。今25歳です。匿名さんの意見を読ませていただきました。私は、当然脱会だなんてありえませんが、現にこうしたすばらしい教えを説かれている当会の中にもこのような考えをお持ちで悩んでいらっしゃった方がいたのだなと思うと迷いや、疑問を取り除いてあげることができなかったことを一仏弟子として残念に思います。

あなたは、大学生になったばかりの時に自分から本を読んででなくまあ、誘われて入会されたんですね。当会の教えに感銘を受けてというより少し流されて入ってしまったという様に私は感じとれました。ですから、大川総裁先生が仏陀であるというところから信じることが出来ていないんですね。会員の多くはまず本を読んで魂でもって「この本はまさしく人間を幸福へと導く教えで、そして仏陀によって書かれたものだ」ということが、理屈抜きで感じ取れた方ばかりです。それは、直感です。 今生きている世の中の知識をこねくり回してわかるというものでは決してありません。ただ、それを掴んだ時、実感した時、人間は強くなれるんです。本物を掴んだという自信です。自分の生まれてきた意味が本当にわかるのです。

私たちは、生まれる時に天上界、過去世の記憶をすべて忘れます。そうしてもう一度、一からやり直す機会を仏の慈悲により与えて頂いているんです。しかしすっかり忘れていますから信仰心によって人間は本来のあり方、常に正しき心を探求するという姿勢を思い出し病気、別れ、挫折など様々な苦難困難をどれだけその姿勢でがんばり抜くことが出来るのか。それが地上に生まれ変わっている私たちの心の修行なんですよ。 糧となるんですよ。そして、それを限りなく暖かい愛のおもいで、時には共に悲しみながらもいつも側にいて下さるのが仏という存在なんです。

はっきり言って、幸福の科学はものすごい情報処理能力が必要とされます。情報量が全然ちがうんです。他教団とは。発展もものすごいスピードです。あなたは、きっとものすごい情報量に圧倒されたんですね飲み込むことができない中で、疑いの念がでてきて、苦しくてマインドコントロールというふうに考えてしまったのではないでしょうか私たち先輩が初心者の方に十分に対応できていなかったというのも反省点となるかもしれません。先に学んでいる私たちも、まだまだ修行は十分ではありません。ですから、あなたのような方からみたらおそらくお粗末だと感じるところだってあるでしょう。ただ時間を与えていただいています。私たち会員は、日々努力精進しているのです。一年二年じゃ変らなくとも、10年20年たてばきっと大きな変化となりましょう。 大きな理想のもとに日々努力している者に実現できないことはないのですから。

そして匿名さんがおっしゃっている「良いことをを真理価値にあてはめてこじつけている」というご指摘がありましたが、そのことについて意見させていただきます。 仏法真理を学んでいる会員からするとある意味「そんなの当然」なんです。過去偉人達が残した偉大な思想は、そのほとんどが仏から別れてきたものですから。 個性の違いがあっても、根本は一つ。真理は一つ。偉人に限らず私たちは、みな仏の法をこの身に体言し、繁栄することが使命です。 とくに仏法真理を学んでいると物事の善悪に非常に敏感となります。どちらがより仏の法に適っているか、仏が喜ばれる考えか、それは結局自分をより生かす選択となるのです。

しかし、今この世には残念ながら誤った考えが満ち溢れています悪質な本も増えていますね。その中で良書に巡り合った時に「これは仏法真理に適っている」という思いを持つのは決しておかしなことではないでしょう。 一つの本が正しいものか否かを判断できるのは、なかなか難しいものです。結構悪質なものがベストセラーになったりする今の世の中です。 それは結局多くの人が本当の価値観がわからなくなっている証拠の様にも私には思えます。

そしてインスピレーションというのは、ある分野で努力をしている人に降りるものです。そして心が美しくなければ、正しいインスピレーションをうけることができません。ですから会員さんは、受け取ることが出来るような心境になって、少しでも他の人のお役に立ちたいと思ったのでしょう。

皆一生懸命学んでいる仏弟子です。本当に真剣です。仏法流布に命懸けているんです。一年半無駄にしたとありましたが、あなたは与える愛については学ばなかったのですか?会員さんの熱い、純粋な思いは、少しも胸に響かなかったのでしょうか?教義に適わなかったらどうしようとびくびくする前に、もっと学んでみようと思うことはできなかったでしょうか?会員さんが受け入れてくれないんじゃないかだなんて、取り越し苦労です。もっと純粋に学んで欲しかった幸福の科学の教えは自分を知的に見せるためにあるのではないのです純粋なその心がまずなければ、なんにもならないのです。

最後に、あなたが学生部の集いへ行かれて法談の時に適当に話してウケが良かったのは、あなたが真理に適った話をしたからでしょう(ただその時のあなたの心が真理に適っていたとは思えませんが・・・)皆心が読めるわけではありませんので、たとえあなたが創った話でも感動することはありえます。 でも、私が問いたいのは、そんなことを平気でしたあなたの心です。こんなことで感動していると他の人をみたあなたの心です。ご自分でも良く原因がわからないからマインドコントロールとおっしゃいますが結局正しき心を探求する人々と波動があわずに一緒の空間にいられなかっただけだと私は、思います。

これから、太陽の法の映画も10/28から東映で始まります。何故入会したのか、何故脱会したのか、その時々の自分を客観的に見ることが出来るヒントを掴めると思います。

つい、力が入って長く書いてしまいました。 ありがとうございました。



思考停止と宗教商品


匿名さんへのお便りなので、わたしがコメントすべきではないかとも思いますが・・・以下は、わたしの独り言です。

Yasukoさんは言われます。

会員の多くはまず本を読んで魂でもって「この本はまさしく人間を幸福へと導く教えで、そして仏陀によって書かれたものだ」ということが、理屈抜きで感じ取れた方ばかりです。それは、直感です。 今生きている世の中の知識をこねくり回してわかるというものでは決してありません。ただ、それを掴んだ時、実感した時、人間は強くなれるんです。本物を掴んだという自信です。自分の生まれてきた意味が本当にわかるのです。

これを普通人の言葉に翻訳すれば、「思考停止でもしなければ、とてもではないが、幸福の科学にはついていけない」、ということになります。思考停止なくして、たとえば、「大川隆法総裁先生は地球をおつくりになったかたです」とか、大川さんの著書を「仏陀によって書かれたものだ」などといった断定が、こんなにも軽々しくなされるわけがありません。

もちろん、幸福の科学の信者さんたちは、いつもいつも思考停止しているわけではなく(そんなことは誰にもできません)、大川さんの正体とか、幸福の科学のドグマといった肝心なことに関することになると、ひどい思考停止に陥ってしまわれるようです。

この思考停止を正当化する教義が、「今生きている世の中の知識をこねくり回してわかるというものでは決してありません」というやつです。大川さんご自身もよくその手を使われます。

それはそうでしょう。幸福の科学の荒唐無稽な形而上学的主張が正しいことを示す知的根拠・客観的根拠はまったくないわけですから、何の根拠もないのにそれらを「正しい」と言い張るためには、知的根拠・客観的根拠そのものの価値を否定せねばならないわけです。

しかし、知的根拠・客観的根拠そのものの必要性を否定すれば、あとはもう主観的な<思い込み>しか残りません。「理屈抜きで感じ取れた」とか「直感」などというのは、要するに<思い込み>にすぎません。根拠を提示できないのに「わかった」と思い込んでいるのですから、<思い込み>なわけです。たとえば前世とか死後の世界とか霊界について、本当は何も知らないのに、それらについてまるで何か知っているかのごとく思い込んでいるとすれば、単なる<思い込み>と言わざるを得ません。

「<思い込み>だけで真理を主張することができる」 -- これが幸福の科学の様々な教義の根底にある、もっとも基本的な思想であると言えるでしょう。それは、大川さんご自身の著書を読んでも、本サイトに寄せられる信者さんのお話を聞いても、共通している考えです。

なぜ、この思想(「<思い込み>だけで真理を主張することができる」)は、これらの人々にとって、涙を流して感激するほど魅力的なのでしょうか。それは、おそらく、事実とマッチするかどうかではなく、自分の願望にマッチするかどうかで真理か否かを決定することができるからだろうと思われます。根拠がないのに、幸福の科学のドグマを真理だと思い込むことができるのは、真理であって欲しいという自らの願望(欲求=理想=ユートピア)と一致するからであるとしか考えられません。

このことは、幸福の科学の信者さんたちが、どのようにして、大川さんのドグマを「真理」として受け入れるようになったかを語る、その証言を調べてみれば、明らかになるでしょう。

「人は、死んだら、どうなるの?」という『永遠の法』の新聞広告を見て、すぐに買って読みました。私は三年前、姉の息子を事故で亡くしてしまいました。私には子供がいないので、その甥を我が子のようにかわいがっていたのです。それ以来ずっと暗い気持ちで毎日を送ってきましたが、『永遠の法』を読んで、「あの世があるんだ」と確信できたのです。「亡くなった甥もあの世にいるのだな」と思うと、とても励まされ、なぐさめられ、生き甲斐を見つけることができました。『永遠の法』は、私にとって「宝」となった本です。

(千葉県、52歳)

大川先生が「お釈迦様の再来」であることも、教えを見る限り、まったくその通りだと思います。釈迦の再来が現代の日本に生まれていることは、日本人にとって誇り[です]。

(兵庫県、48歳)

-- 以上、『幸福の科学』97年10月号、22〜23頁より --

ここでは、大川さんの語ることが本当に事実であるかどうかなどという吟味はまったく欠如していて、しかも、信者さんはまことに単純に「確信」してしまっています。ただただ、自分の願望・理想にマッチするからとしか考えられません。

こういうタイプの人々の願望に合うような宗教商品を作りだすことにずばぬけて長けているのが大川さんのすぐれた才能だと思います。大川さんの作りだされた宗教商品をちょっと見てみましょう。

三角関係解消のための祈り> 妻の立場から夫の浮気を解消し、本来あるべき幸せな家庭の姿に戻すための祈りです(41頁)。

劣等感克服祈願> ヘルメス神の大いなる慈悲の御光が、あなたの心の傷を癒し、自信に満ちたあなたへと導きます。(41頁)

受験必勝座禅・十則> 小・中・高・大学から資格・就職など、どんな試験にもOKです。心の安らぎと合格への自信を深め、受験合格へ向け、再短距離を走ることが可能となります(37頁)。受験必勝座禅は受験生の父兄の「代理参加」も可能です。(44頁)

恋愛成功祈願> もう、これ以上悩む必要はありません。恋愛に悩むすべての方へ、ヘルメス神の直接のご指導で、あなたの夢(恋愛)を成就します。(39頁)

経済的成功のための祈り> 天上界には、無限の富と豊かさのエネルギーが満ちあふれています。ヘルメス神、直々のご指導でその富の源泉があなたに降り注ぎ、地上での経済的成功と富の増大をもたらします。(39頁)

霊障対策講座〔悪霊調伏祈願〕> 本講座に参加された方のみ受けられる「悪霊調伏祈願」では、聖なる結界に悪霊を呼びだし、叱りつけます。「祈願後は、心の底から生きる勇気と情熱が湧いてきました」「スッキリして風呂上がりのようです」など、反響が続々。(60頁)

ケリューケイオンの杖> 「ケリューケイオンの杖」は、ヘルメス神から特別に賜ったお守りで、強力な霊力があります。業績が劇的にアップするなど、奇跡情報が寄せられています。経営者研修ご参加の方のみ、お申し込みいただけます。(61頁)

過去清算の秘法--特別潅頂> あなたの過去の罪、すべて仏に許されます。このたび、再誕の仏陀・大川隆法総裁より特別秘法「過去清算の秘法--特別潅頂」をいただきました。「特別潅頂」は、総本山・宇都宮正心館で一人一人個別に行う秘儀(イニシエーション)を通して、仏に過去の罪をお許しいただき、過去を清算していただけるという、非常にありがたい儀式です。(56頁)

(以上すべて、『幸福の科学』97年10月号よりの抜粋)

ざっと見ただけで、こんな具合ですから、信者の方々から、「こんなにありがたい御教えに出合わせていただいて、心から感謝しています」(福岡中部東支部、Mさん、25頁)とか、「『有り難い』の一言です」(帯広支部、Sさん、29頁)といった声が聞けるのは、まことに当然といえるでしょう。

これらのことを総合して考えてみると、Yasukoさんが、

会員の多くはまず本を読んで魂でもって「この本はまさしく人間を幸福へと導く教えで、そして仏陀によって書かれたものだ」ということが、理屈抜きで感じ取れた方ばかりです。それは、直感です。

と言われることの意味を理解することができると思います。すなわち、人々のうちには、<真実を語ってくれる者>ではなく、<自らの欲望・願望と合致するものを真実だと言ってくれる者>を欲しているものがおり、その欲望・願望に答えるような宗教商品を大川さんのドグマは提供しているのです。その両者が出会うとき、「『有り難い』の一言です」といった感動が生まれ、その感動こそが、大川さんのドグマを真理であると「理屈抜きで感じ取[る]」こと(「直感」)ができる理由だと思われます。

以前にも述べたことがありますが、かつて、亀井勝一郎は「信仰の敵は疑うことではなく軽信である」と言いましたが、軽信とは、真理の主張を、客観的根拠(知的根拠)によってではなく、主観的な思い込み、すなわち自らの願望・理想に合致するかどうかによって決定する態度であると考えられます。これが幸福の科学の<思考停止>と<宗教商品に飛びつく軽薄さ>です。真実であるかどうかを吟味をしないから<思考停止>であり、「真実であって欲しい」という単なる欲望から「真実であるに違いない」という事実に関する主張へ飛躍するから<軽薄>なのです。