こんにちは。グラールです。

この前は、大袈裟に「知識」などと書きましたが、実は、それ程の物ではないのかもしれません。具体的に申し上げますと、色々な方々が著されている書物です。それらの多くは、大川総裁の霊界観と符合しています。「死ぬ瞬間」、「神との対話」、「死と臨死体験」・・・このような書物を挙げれば、枚挙に暇がありません。一人だけなら別ですが、これだけの数があれば、かなり信頼が置けるのではないでしょうか(まあ、なかには佐倉さんによって、資料的価値を否定された物もありますが・・・)。それとも、佐倉さんはこれらすべてを虚構であると断ぜられますか?

少し前のやりとりで、佐倉さんは「幸福の科学の信仰は洗脳である」とおっしゃいましたが、ほんとうにそうでしょうか。僕はそうは思いません。

信仰の根拠として僕が挙げたのは、「魂の疼き」という物でした。佐倉さんはこれを、「僕が信仰に対して合理的な説明をできずに、曖昧模糊に誤魔化した物」と、捉えられたようです。確かに、僕には信仰を合理的に説明する事はできません。しかし、それと「魂の疼き」は別です。幸福の科学には、「人間には信仰の本能がある」との教えがあります。これは、神が私達に三次元世界での道標として与えてくださった物です。それを考えれば、ますます信仰の説明などできない。いや、そもそも説明を必要としないのではないでしょうか。そして、神が与えた物である以上、信仰は先天的な物です。

佐倉さんは信仰は後天的な物とおっしゃいました。確かに、親が信仰している宗教を子供が信仰するというケースは、多いと思います。それらの信仰が後天的な物であることも否めません。しかし、「だから幸福の科学の信仰も後天的である」と結論付けるのは急ぎ過ぎではないでしょうか。

そして、佐倉さんを「幸福の科学は洗脳集団」との結論に至らしめた、問題の文(しかし、人々よ、決して迷ってはならない・・・)ですが、繰り返します。佐倉さんは曲解しておられます。信仰は信じきる事です。猜疑の中で、真の教えの理解など有り得るはずがないのです。というか、1%でも疑いを持った時、それを信仰とは言わないのです。

僕は、以上のように考えます。あと、これ以上の論議は、どうどう巡りを繰り返すだけで、得られる物は僕にとっても、佐倉さんにとっても少ないと思います。最終的判断は、読まれている方にお任せして、この論議はここまでにしませんか?

長い間、本当にありがとうございました。意見の違いはあれ、僕は心の底から佐倉さんを尊敬しております(ホントですよ)。それでは、次の議論で・・・。



「死ぬ瞬間」、「神との対話」、「死と臨死体験」・・・このような書物を挙げれば、枚挙に暇がありません。一人だけなら別ですが、これだけの数があれば、かなり信頼が置けるのではないでしょうか。それとも、佐倉さんはこれらすべてを虚構であると断ぜられますか?
わたしがそれらを虚構であると断じるというより、誰にも有無を言わさない知識としての根拠を示せばそれですむのです。それなのに、この種の本は、相も変らず読者の信仰心に依存しています。知識でない本をどんなに積み重ねても、知識としての価値はゼロです。したがって、このような本が売れるというのは、本が信頼できるからではなく、人類が愚かであることを示しているのだとわたしは解釈します。このような本が売れなくなれば、人類も少しは進歩したと言えるでしょう。


それと「魂の疼き」は別です。幸福の科学には、「人間には信仰の本能がある」との教えがあります。これは、神が私達に三次元世界での道標として与えてくださった物です。それを考えれば、ますます信仰の説明などできない。いや、そもそも説明を必要としないのではないでしょうか。そして、神が与えた物である以上、信仰は先天的な物です。
え?信仰や魂の疼きは「神が与えた物」である、という教えがどこから来たのだといま言われたのですか、もう一度大きな声でおっしゃってください。


佐倉さんを「幸福の科学は洗脳集団」との結論に至らしめた、問題の文(しかし、人々よ、決して迷ってはならない・・・)ですが、繰り返します。佐倉さんは曲解しておられます。信仰は信じきる事です。猜疑の中で、真の教えの理解など有り得るはずがないのです。というか、1%でも疑いを持った時、それを信仰とは言わないのです。
どうやら、幸福の科学では一切の疑う行為が禁じられているらしい。これでは、「幸福の科学は洗脳集団」ではないのか、というわたしの疑いの心はますます大きくなるばかりです。


僕は、以上のように考えます。あと、これ以上の論議は、どうどう巡りを繰り返すだけで、得られる物は僕にとっても、佐倉さんにとっても少ないと思います。最終的判断は、読まれている方にお任せして、この論議はここまでにしませんか?
グラールさんからは、幸福の科学の生の姿をとても率直に示していただきました。わたしにはとても勉強になりました。感謝します。