エドガーケイシーの予言の嘘について佐倉さんの意見を拝見致しました。
確かに、佐倉さんのデータでは予言ははずれたことになります。しかし、それはこの例だけを挙げればインチキになります。では的中したものは?そういうデータもあるはずです。それはどのようにして説明するのですか?失敗した例をだけを挙げて敗者にするのは、人間とは完璧でなければならないと言うことでしょうか。
もし失敗をおかさないという人間がいるならばその方があやしいのでは?この世の中は曖昧なもので、だれも真理に到達できる人間など私はいないと思います。それよりも議論の余地を残すべきではないでしょうか。なぜならば、もし肉体があることに意味があるとするならば、私たちは常に何かを追求し、真理を追求し、そのために経験が存在しているように思います。もし答えがでているのなら生まれる必要もないのでは?
この世の中には何人もの自称予言者がいます。私はもしこの人々に必要なことがあるとすれば、人格者でなければならないと思います。純粋に相手の苦しみをすこしでも和らげてあげたい、人を救いたい。(独占欲、権力欲や自己満足とは違います。)そういう人間ではないでしょうか。そういう意味では、私はエドガーケイシーは霊能者や予言者に該当する人間であると思います。
(1)的中?
あいまいな表現で、あとからどうにでも解釈できるようなものなら、もちろん、あとから「的中した」となどと強弁できないこともないでしょう。ちまたに出回っているケーシー関連のあやしげな本は、そのようなあいまいな「予言」と地方新聞の片隅にしか載らないたわいもない事象(軽い震度の地震など)を結びつけて「的中した」などと強弁をしたものばかりです。もともと、ケーシーの「予言」なるものは、ほとんどすべて、どうにでも解釈できるあいまいなものばかりです。
しかし、わたしが調べたかぎり、ケーシーが出来事の内容について具体的に語ってしまった予言では、的中したものはひとつもありません。日本列島のほとんどが1958年と1998年の間に海に沈んでしまうとか、失われたアトランティス大陸が浮かび上がるとか、北米大陸が二つに分断されるとか、五大湖が空っぽになるとか、ポールシフトなるものが起きるとか、1998年にキリストが再臨するとか、カリブ海に新しい陸が現出するとか、グリーンランドに水が出るようになるとか、まったく、うんざりするような、デタラメばかりです。
ところで、彼は未来についてばかりではなく、過去についても、いろいろ書いています。たとえば、失われたアトランティス大陸については、具体的な人物の名前などをあげて、それらしく書いていますが、過去については、デタラメがばれることはないと思っていたのか、かなり、大胆なことを書いています。そのため、ときどき、度を踏み外し、ついついその正体を表しています。たとえば、彼は、人類が地球に現れる前には、人魚が生存していた、などとばからしいことを言っています。これは、人間は失敗することもある不完全な存在である、といった種類の問題ではなく、手品師のからくり(予言らしきものが実は予言ではなくデタラメであったこと)がばれてしまった、という種類の問題です。
tanakaさんはご自分でケーシーのリーディングを読んだことがおありなのでしょうか。それを読むと、あまりにもばからしくて、大切な自分の時間をひどく無駄にしているようで、とてもついていけません。ケーシーの超能力とは、デタラメにすぎないものをあいまいな表現でしかもそれらしく語る能力と言えるでしょう。ケーシーの膨大なデタラメばかりのリーディング中には、たまたま、「的中した」と解釈しようと思えば、そう解釈できないこともないようなものがわずかばかりはある、というのでは、とてもケーシーを「予言者」とか「霊能者」とは呼べません。
(2)人類の予知能力
地震、津波、火山噴火、台風、ハリケーン、洪水、雪崩、火事、飛行機墜落、船の沈没、強盗、殺人、交通事故、その他さまざまな不幸な出来事に、人類は世界のどこかで毎日出くわしています。この峻厳な事実は、人類が予知能力を持っていないことを如実に物語っています。人類の全歴史が、そして、わたしたちの日々の生活が、つまり、わたしたちの経験のすべてが、人類が予知能力を持っていないことを示しています。したがって、この膨大な証拠物件に反する主張、すなわち、予知能力を持っている人がいる、という主張には、人々をして有無を言わさぬ厳然たる証拠を提出する責任があります。ケーシーのリーディングのなかには、「的中した」と解釈しようと思えばそう解釈できなくもない、あいまいな表現がわずかはある、ぐらいのことから、ケーシーに予知能力があったなどと断言するのは、バランス感覚のまったく欠如した判断であると言わざるを得ません。
(3)人を助ける?
人を助けるためには、正しい知識と技術を必要とします。正しい知識と技術を得るためには、ひとはだれでも多大な研究と長い訓練を必要とします。しかし、そのような努力をまったくしないで、ベッドに横たわって、トランス状態になったふりをして、口からでまかせを語るだけで、エドガー・ケーシーとその妻は、他人から相談料を取って生活していました。そして、そのケーシーを「予言者」「霊能者」に仕立て上げて、あやしげなトンデモ本を書きつづけて生活費を稼いでいる人々は、今日でもいます。
(4)最後に
ケーシーに関するトンデモ本ではなく、ケーシーのリーディングそのものを読まれることをお勧めします。ケーシーの正体を、他人の意見からではなく、ご自分の眼で確かめてください。