菩薩を目指す請願に「衆生無辺請願度」という言葉がありますが、それはとりもなおさずブッダ自身の願いでもあります。一切の人々を救いたいとの願いが仏教になっています。救うというのは「魂の救済」のことにほかなりません。宗教的に言えば「心の自由を得ることによって平和の境地に達する」ことでしょう。そして、「来世地獄に行かず天国に帰る」ことです。ブッダの教えの大半はそのために説かれています。

ここで大事になるのが「無我」の心です。無我は執着を取り去るためにとても大事な教えであり、仏教でも重要視されています。執着を去ることは人間生きている限りとても難しいので無我修行のために八正道や次第説法などをはじめ数多くの法門がありどこからでも入っていけるようになっています。

またブッダはその時やその人の機根に合わせて法を説くので八万四千の法門があるといわれています。(応病施薬)同じ質問でも時には答え、あるいはまったく反対のことを言い、あるいは何も答えないときもあります。(対機説法の特徴です)

仏教無霊魂説の方はこの辺で勘違いされているのではないでしょうか。ブッダが質問に答えなかったからといってそれを否定したことになりません。現代風にたとえて言えばA氏がB子さんに「携帯電話の番号を教えてください」とたずねました。B子さんは何も答えませんでした。それを見ていた人が「これでB子が携帯電話を持っていないのが証明された」と言いました。大半の方はこの結論の出し方が少しおかしいのではないかと思うはずです。「B子が答えなかったのはA氏に教えたくなかったからだ。そうでなければ携帯電話を持っていないと言えばすむはずだから。」と考えるでしょう。

毒矢のたとえは「永遠の魂がどうのこうのあの世がどうのこうの知ることよりも、今おまえに必要なことは一人でも多くの人を救済する法(毒矢を抜いて手当てする)を学ぶことです。」とブッダがその弟子に諭しているのです。

次に「ミリンダ王の問い」のくだりについて述べたいと思います。ここで分かることは、時代が下ると(説一切有部が出てきたころ)仏教の上座部の中に「アナートマン」を「無我」と解釈せず「無霊魂」と解釈するものが出てきた。しかしそのような派であっても転生輪廻は認めていた。(驚くべき矛盾です)転生輪廻を認めていたがために「転生輪廻をするそのものは何か」と問われて答えにつまった。(無霊魂説をとっている派でも転生輪廻を信じていたことがここで証明されています。)それゆえに魂に代るものとして「アーリヤシキ、アーラヤシキ」なるものを作り出さなければならなかった。

資料や文献が大事、歴史が大事といっても同じ資料・文献からこのように正反対の結論が出てきました。私は仏典のどこを見ても永遠の魂の存在は大前提としてあり、どのような心を持ちどのような行いをすれば迷い苦しみの転生輪廻から自由になれるのかを教えてくださっていると感じます。

「感じます」という言葉を使ったのはやはり宗教は心で感じるものだからです。頭でいくら考えても悟りに近づく(智慧を得る)とは思えません。私はブッダを愛するがゆえにブッダに少しでも近づくことを人生の目的としています。教えを知れば知るほどブッダの大きな慈悲と悟りの力を感じます。

そして永遠の魂と縁起の理法が死ぬまで学びつづけても決して無駄にならず、未来世への大きな財産となることを教えてくれます。(時間縁起を修行論として使う)また、「空」の教えの一部である「依他起生」すべてのものはそのもの自身で存在できない、自性なるものはない。必ず他のものによってはじめて存在が許されているのだという教えは感謝の心を教えてくれます。(空間縁起を慈悲の心として使う)このように仏教はすばらしいものです。

しかし、無霊魂説をとると「人間は死んだら終わり」と考える人も多いと思います。そこからは希望のない刹那的な生き方しか出てこないでしょう。佐倉さんが言っているようにアメリカ人の失望感は無霊魂説から生まれてきたものでした。しかしブッダは失望の勧めを説いたのではないのです。大いなる「救済の法」を説いたのです。

一人でも迷いの人生から救済し、また来世天国へ帰れるよう願いを込めて遊行にでかけ法を説いたのです。

一度永遠の魂の存在を前提として仏典を読み返してはいかがでしょうか。きっと違ったすばらしい世界が開けてくると思います。

高橋俊彦


(1)大変な信仰に感服いたします

・・・文献のどこにも魂やあの世の存在を否定してはいません。(前頁)

・・・救うというのは「魂の救済」のことにほかなりません。・・・そして、「来世地獄に行かず天国に帰る」ことです。ブッダの教えの大半はそのために説かれています・・・。

・・・私は仏典のどこを見ても永遠の魂の存在は大前提としてあり、どのような心を持ちどのような行いをすれば迷い苦しみの転生輪廻から自由になれるのかを教えてくださっていると感じます。 「感じます」という言葉を使ったのはやはり宗教は心で感じるものだからです。

・・・一度永遠の魂の存在を前提として仏典を読み返してはいかがでしょうか。きっと違ったすばらしい世界が開けてくると思います。

ご自分で仏典を読んだ結果としてではなく、ただ「感じられる」だけで、仏典に残されているブッダの思想がどんなものであったかを確信し、他人にもおなじような確信を持つように「仏典を読み返してはいかがでしょうか」などと勧めることのできる、その大変な信仰にただただ感服いたします。


(2)アートマン(死後も存続する永遠の魂)の否定

仏教はアートマンを否定しました。そしてそれをしばしば「無我」(アナートマン、アナッタ)ということばで表現しました。それは決して、たんに「我執を去る」というような教えではありません。また、食ったり歩いたり寝たりする日常的「わたし」を否定したわけではもちろんありません。そうではなく、人間やものに内在していると信じられている恒常な本体、つまり、(人間で言えば)「死後も存続する永遠の魂」を否定したのです。わたしたちは、無我の思想に出会わずして仏典を読み進むことはできません。いたるところで、仏典は無我の思想を語るからです。

仏教がなぜ無我を主張したかといえば、仏教の思想の前提に無常の思想、つまり、「常住するものはない」、「永遠不変なものはない」、「ものはすべてうまれ、変化し、滅亡する」、という思想があるからです。「無常(常住するものはない)」という概念と「永遠に存続する魂」の概念は矛盾すると考えられたのです。

原始仏典の中では、無常ということがすべての教えの前提になっている。「すべては無常であり、すべては苦であり、すべては無我である」という文句は、原始仏典のいたるところでお目にかかる。無常・苦・無我という概念は、直前の表現のように、いつでも並列されているというわけではない。三つの中でも無常は、苦と無我の根拠とされていることも多い。すべてが無常なのだから、すべては苦しみであり、そのように無常と苦にさいなまれている自分と世界の中に、絶対者としての自己、恒常・不変・自在な自我などあるわけはない、というようにである。

(梶山雄一、『空の思想 仏教における言葉と沈黙』、8頁)

仏典を読むものはどうしてもこのような無我の思想にぶつかるのです。つまり、わたしたちの経験世界は見渡すかぎりすべて、わたしたちの肉体も意識もすべて、変滅しており、常住不変なるものはどこにも見つけることはできない(諸行無常)、だから、常住不変であるとされているアートマンなるものはわたしたちの経験世界にはどこにもない(諸法無我)、という主張です。これが、仏教のアートマン否定の一つの側面です。

仏教のアートマン否定のもう一つの側面は、わたしたちの経験を越えた世界に関する主張の否定です。たとえば、人(如来)は死後も存続して永遠に生き延びていく(いかない)、というような主張を、ブッダは「おろかな考えである」として否定したのです。

「弟子たちよ、『我』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」

(マッジマニカーヤ、22:25)

ブッダ自身は、死後の世界とか、世界の始まりだというような、経験を越えた世界に関する問いには、沈黙をもって応えました。経験を越えた世界に関してはだれもなにも知らない(「真実として捉えられるものではない」)のだから、経験を越えた世界に関する主張はすべて独断(「おろかな考え」)にすぎず、修業の目的(解脱、ニルヴァーナ)の為には、何の役にも立たない、と考えたからです。これが有名なブッダの沈黙(無記、捨置記)です。

ブッダの沈黙のもっとも有名な例は「毒矢のたとえ」ですが、ここでは、もう一つ例をあげておきましょう。ヴァッチャというある修行者がブッダを訪ねて、「世界は常住であるかどうか」「世界には辺限があるかどうか」「霊魂と身体は一つであるかどうか」「人は死後にもなお存在するかどうか」などの質問をしますが、これらの問いに関してはブッダは意見を持たないことをヴァッチャに告げます。そこで、ヴァッチャは、「いったい、世尊は、いかなるわざわいを見るがゆえに、かように一切の見解をしりぞけられるのであるか」と問います。そこで、ブッダは答えます。

ヴァッチャよ、そのような種類の問いに対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない

(マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)

このように、「死後、我は永遠に生きるかどうか」というような(答えのでない)問いに対する見解は独断に過ぎず、修業の目的の為には何の役にも立たない、というのがブッダの立場であり、それでも、「我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう」と主張するものに対しては、ブッダは実に端的に、「おろか」であると戒めています。

以上、仏教のアートマン否定の二つの側面について、まとめてみますと、次のようになります。

経験・観察できる世界 経験・観察できない世界
ブッダの立場無我である。アートマンは無い。(諸法無我) 沈黙。「アートマンが死後も存続する(しない)」という見解はおろかである。(無記、無捨置)
ブッダの理由すべては変滅していて、恒常不変なるものはどこにも見つけることはできない。(諸行無常) 知ることのできない領域に関する見解は独断に過ぎず、修業の目的に役立たない。(常見、断見)


(4)「天国に帰る」?

たとえば、幸福の科学の教祖大川隆法さんを「ブッダの生まれ変わり、神がこの世にその姿を表した方」と信じる信者の方々にとっては、大川さんの教えが仏典に残されているブッダの言葉とあまりにも矛盾するところが多いので、彼らには、仏典に残されているブッダの言葉がたいへん受け入れがたい、という問題があります。

先程、引用した、ヴァッチャとの問答には、じつは、次のような続きがあります。

ヴァッチャは、さらに、尋ねて聞いた。
「世尊よ、では、執着を離れて解脱した者は、いずこにおもむいて生れるのであろうか。」
「ヴァッチャよ、おもむいて生まれるというのは、適当ではない。」
「では、どこにもおもむいては生まれぬというのであろうか。」
「ヴァッチャよ、おもむいて生まれぬというのも、適当ではない。」
「世尊よ、それでは、わたしはまったくわからなくなってしまった。以前に世尊と対座問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消えうせてしまった。」
すると世尊は、彼のために、このように説明せられた。
「ヴァッチャよ、なんじがまったく解らなくなったというのは、当然であろう。ヴァッチャよ、この教えは、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧あるもののみが知りうるところのものである。他の見解にしたがっている者や、他の行をしている者には、とうてい知られがたいものであろう。だが、ヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじのために説こう。いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは、火が燃えている、と知ることができるか。」
「むろんである。」
「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじは何と答えるか。」
「それは、この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える。」
「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火は消えた、と知ることができるか。」
「むろんである。」
「では、ヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」
「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである。」
そこで、世尊は、うなずいて、説いていった。
「ヴァッチャよ、まったくその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。・・・そして、ヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」

(同上、増谷文雄訳)

ヴァッチャは、古代インド人の常識として当然のごとく、バラモン教・ヒンズー教・俗信の伝統にしたがって、執着を離れて解脱したものはどこか善いところ赴いて生まれると思い込んでいたのです。そのために、ブッダにつまずいてしまったわけです。ブッダの思想には、どこかに赴いて生まれる(赴いて生まれない)とか、よい世界に生まれ変わる(生まれ変わらない)とかいうような問いは、「いままで燃えていた火はどこに行ったのか」と問うことがまったく見当違いの問いであるように、まったく見当違いの問いだったからです。ブッダは、比喩を用いて、火が消えるのはただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、火がどこか別の世界に赴いて行ったのではない、というのです。ヴァッチャは、これを聞いてブッダの意味するところを理解することができ、ブッダに帰依します。

ブッダは「人は悟って天国に帰る」などとは説きませんでした。