果たして仏教は、人間には永遠に生き続ける「魂」のようなものがあると教えたのでしょうか。仏教にとって「神」とは何なのでしょうか。仏教は神への信仰を説いたのでしょうか。本シリーズは、そのようなことなどについての、Nさんのお便りとわたしの応答です。Nさんは、仏教は「唯物論ではない」と主張され、永遠に存続する魂や神々の存在を仏教は説いたと主張されます。わたしは、仏教の「無我」の思想はそういう「永遠に存続する魂」を否定するものであり、仏教は人間の認識のとどかない形而上学的領域(神々の世界や、死後の世界など)に関する断定を知識として認めず、有神論を批判したと主張します。
97年9月7日
先日「仏教とキリスト教、無と空と縁起と悟り」を書いたNです。多様な論点での内容にもかかわらず、ご意見を頂きありがとうございました。
私は、宗教者としての観点から、現代に仏教、キリスト教が現在進行形で説かれるとするなら、また、過去の時代においてもその時代で何が説かれるべきであったのかを原点とし、その教えを現代に生かすならどうすべきかを考えてみたいと思っています。
確かに文献として残っていることを根拠として考えるとき、仏教は転生輪廻を否定したものだという学説が仏教学者にも多いことを私も知っています。キリスト教(というより原始ユダヤ教)に原罪説がありその学説が多数を占めていることも知っています。
しかし、あえて問いたいのです。「本当にそれを説いた人が絶望のみを言い、希望を捨てよと言ったのか」ということを。
あれだけ肉体の生存の苦しみを説き、修行や戒律を説いた仏教は、何のためにその教えを広めたのでしょうか。イエスや親鸞が説いた他力信仰の教えは単なる盲信の勧めだったのでしょうか。
祈りはある一定の法則のもとに成立します。まず「理念・思い」があり、それが祈りの対象となる存在へと伝えられます。そして次にその内容が吟味され、必要とあれば聞き届けられ、祈りは成就します。
宗教・思想・哲学等では「反省(検証)・瞑想(構築)・祈り(展望)」のプロセスがあり、そのプロセスが何らかの基準によって計られ、特にユートピア論と呼ばれる理想論が展開します。ソクラテスやプラトンやアリストテレス達の仕事は、理想を持たない詭弁論者を打ち破り、理想社会を描くことにありました。これらの偉人の仕事というのは私的ユートピア論、公的ユートピア論に他なりません。
仏教もキリスト教も儒教も思想、哲学もユートピア論だという前提とすれば、その模範的なロジックに倣って社会が展開すれば、そこにユートピアが現出するということです。いまだ、そうなっていないのは、その内容が不十分か(因)、伝わり方が不十分か(縁)、まだ時間として結果が出ていないか(果)であると思います。
宗教における祈りの対象は仏神です。祈りを聞き届ける仏神はその祈りの内容に応じた仏神です。その祈りの内容が重要な内容であれば重要な役割の仏神が聞き届け、道を開きます。縁起の理法の通りです。認識力が高い方はそれなりの役割をもって生まれてきています。予言者は救世主の到来を告げ知らせます。仏神が現代へユートピア論を説くとすれば、他の時代の偉人達と同じく救世主のみを遣わすのではなく、多くの諸天善神を送り込んで行うのではないでしょうか。ひとりでも多く心の中にユートピアを築くことができる人が増えることが仏神の願いだと思います。
97年9月16日
(1)「無我」の思想
ブッダが、インドの伝統的な信仰であったバラモン教(後のヒンズー教)の中心的概念であった、輪廻転生しながら永遠に生き続けるというアートマン(atman 個我=魂)を否定して、アン・アートマン(anatman 無我)を説いたことを疑うのは極めて困難です。それは、あまりにも多くの文献において書き残されており、しかも、仏教徒の書いたものだけでなく、彼らの宗教的・思想的ライバルたちによっても、仏教徒たちがアートマンを否定していることに対するさまざまな批判が、書き残されているからです。もし、ブッダが魂の否定としての無我を説かなかったとすれば、たとえば、『ミリンダ王の問い』に書き残されているような、「もしアートマンが存在しないのなら、改組・回帰(輪廻転生)していく、当のそのものは、なにものか」というような問いに仏教が明確な解答を与えようと大変苦労した思想史的事実が説明できなくなってしまうでしょう。
また、「アートマン」という概念はバラモン教の哲学(ウパニシャッド)にとって本質的なものであって、それなくしては、ウパニシャッドの語る宗教的救い(ブラフマンとの合一)がなくなってしまいますが、そのような重要な概念を真っ向から否定する「アン・アートマン」という概念を使用したことは決して軽く見るわけにはいきません。単に、「自己中心的な生き方を否定する」、といったような凡庸な教えにすぎないのなら、バラモン教・ヒンズー教にもあるのであって、わざわざ「アン・アートマン」という概念を持ち出す論理的な必要がありません。なぜブッダはアートマン(永遠の魂)を否定したのか、この問いは、大変重要な問題なのです。
(2)「目覚め」の思想
死を恐れ、永遠の生命を望むのは、古今東西、どこでも見られる現象です。そのため、古代人はさまざまな空想を駆り立てて、死後も生き残る自己の物語(エジプトのミイラ、中国の仙人、キリスト教の復活、インドのアートマン、日本の魂、など)を創造してきました。さいわいなことに、古代インド人は彼らの思想を伝達することにきわめて熱心で、たとえば、リグ・ヴェーダ経典は世界最古(おそらく西暦前1200年頃成立)の残存する経典となっています。そこで、彼らの古代の経典を調べることによって、どのようにして、古代インド人がアートマンというものを信じるようになっていったか、その初期の状況をかなりくわしく知ることができます。
たとえば、『ブリハッド・アーラヤヌカ・ウパニシャッド』には、アートマンが次のように説明されています。
「アートマンとはどのようなものか」アートマン(永遠の魂)という概念が、ここでは、夢の中で自由に行動する自己と同一視されています。そして、夢の中の世界や熟睡状態の世界をもう一つの事実の世界であると見なしています。このような夢の内容をそのまま事実の世界と思い込む現象は、決して、古代インド人だけに特有のものではなく、現代人のなかにもしばしば見られるものです。たとえば、「ベッドに横たわる自分の姿を上から見ていた」、という内容の夢を見た人が、夢を事実と取り違えて、「身体から抜け出した魂が抜け殻の身体を上から見ていた」、というふうな解釈したりする話を、今日でもときどき聞きます。上記の「自らは眠らず、眠った者たちを観察する」という表現も、そういうことを意味してるのでしょう。「認識からなり、諸機能のうちに、(また)心臓に存在する内部の光であるこのプルシャ(神人)であります。彼は(かなたの世界とこの世界に)共通ですから、両世界を往来します。(かなたの世界では)沈思するかのようであり、(この世界では)動き回るかのようであります。彼は夢となって、この世界…、死のさまざまな形を超え出ていくのです……。まさしくプルシャ(神人)には、実際には二つの状態があります。(目覚めて)この世にあることと、(熟睡して)かなたの世界にある状態とであります。夢の状態は(両者の)つなぎ目になる第三のものであります。そのつなぎ目の状態にあるとき、彼はこの世に在ることと、かなたの世に在る状態という、この二つの状態を見るのです……。彼は眠っているとき、万物を包蔵するこの世界から物質素材をとり、自ら破壊し、自ら創造し、自らの光輝により、自らの光明によって夢を見るのです。この場合、神人は自らを光明とするのであります……。その点について次のような詩節があります。
黄金の神人、一羽の鷲鳥は、……彼は、実に、この安全な安息(熟睡状態)のなかで楽しみ、徘徊して、善いこと悪いことを見た後に、もとのところへと進路を逆にたどり、夢へと馳せ戻るのです。」
眠りによって、身体にかかわるもの(この世)に打ち勝ち、
自らは眠らず、眠った者たちを観察する。
彼は光を得て(目覚めて)、もとの位置に戻る。
黄金の神人、一羽の鷲鳥は、
下方の巣(身体)を、気息によって守りつつ、
不死となって、巣(身体)から外に歩み出で、
望むところに、不死のものとしておもむく、
夢の中で、あるいは上昇しあるいは下降し、
神として、さまざまな形像をつくり出す。
……
人々は彼の巣である園林を見るが、
だれひとり彼を見るものはいない。(長尾雅人編集『バラモン教典・原始仏典』より)
しかし、古代インド人の特徴は、夢の中の体験を、目覚めているときにも体験しようと執拗に試みたところにあります。それが、ヨーガ(瞑想)だと思われます。ヨーガ(瞑想)に関する教典から、古代インドのバラモン教の実践者たちが、現実の世界よりも夢(空想)の世界の内容を「より真実の世界」であると思い込んでいたことがうかがえます。
夢における知は、夢の中で拝んでいた、神の美しいすがたを対象としている。目覚めたときの静かな心で同じ神の姿に凝念すれば、ヨーガ行者の心は安定に達する。このように、ヨーガ行者は夢の中と同じ体験を瞑想のなかに求めます。さらに、夢の中で自由に徘徊する自己、という考えをエスカレートさせて、ヨーガ行者は(「ヨーガ・スートラ」、同上)
水上を歩き、蜘蛛の糸の上を歩き、光線の上を歩き、さらに虚空を自由に行くことができる。 (同上)とか、
心が身体を離れて外的に働くときは、大離身といわれるのである。この大離身によって、ヨーガ行者は他人の身体に入る。 (同上)などともいわれます。夢のなかで「自己」が身体を離れてゆく現象を、目覚めているときに意図的につくりだす心理的テクニックが本来のヨーガ(瞑想=夢想)の目的だったろうと思われますが、後には、身体を持ったまま空中を飛ぶ、いわゆる「空中浮遊」などが信じられるようになります。いずれにしても、夢や空想を現実から区別をしようとしない独特の宗教的習慣が古代インド人の間にあったことは否定できません。このような考え方の中で、死後、身体を離れてゆく永遠の魂(アートマン)を想定することは、何でもないことです。つまり、アートマン(永遠の魂)の思想は、もとをたどれば、古代のインド人たちが、身体とは別に夢の中で自由に徘徊する自己を「真実の自己」と思い込んだところから、生まれてきたものと考えられるのです。
このような歴史的背景を知ることによって、シッダータ・ゴータマが、「無我」の思想を真理として発見した自分のことを、「ブッダ=目覚めた者」と呼んだことの歴史的な意義が明確になると思います。ブッダの思想家としてのデビューと考えられる、いわゆる「第一説法」において、瞑想・苦行にいそしむ旧友に対して彼は
なんじらは、わたしを名をもって呼んではいけない。また「友」と呼んでもならない。わたしはもはや如来である、最高の「目覚めたもの」である。と宣言します。すなわち、「buddh =眠りから醒める」という言葉を用いることによって、彼の真理の特徴が夢想的なバラモンの思想の否定にあることを主張したのだ、と考えられます。(『マジマ・ニカーヤ』26)
(3)「知の領域」の思想
もし、真理の根拠を、夢や空想にではなく、目覚めて生きるこの現実の事実の世界のみにおくとすると、わたしたちは、たちまち、知識の限界に突き当たります。宇宙の始まりのその前はどうだったのか、宇宙の果てのその向こう側はどうなっているのか、死後の私はどうなるのか、等々、数え上げれば切りがありません。それでもわたしたちは執拗に、これらのことを知りたいと欲し、そのようなわたしたちの要求に応えて、人類の無知を克服したと豪語する宗教家・空想家の出現は、あとを絶ちません。ブッダは、このような問いに、どのように応えるのでしょうか。さいわいに、人間の知りたいと思うことは、昔も今も、あまり変わらないようで、まさに、わたしたちが問いたい問いをブッダに訊ねた人がいました。その名をマールンキャプッタ(摩羅迦)と言います。
ひところ世尊は、サーヴァッティの郊外、ジェータヴァナのなかのナータビンディカの園におられた。そのとき、尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、その心に次のような考えが起こった。「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。すわなち --- 世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、世界は有限であるとか、世界は無限であるか、魂と身体は同一なものであるとか、魂と身体は別個なものであるとか、人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか…、これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。世尊がわたしに説かれなかったということは、わたしにとって嬉しいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。だからわたしは世尊のところへ参って、この意味を尋ねてみよう……。もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」これは、有名なブッダの「毒矢のたとえ」の初めの部分と終わりの部分です。それは、何が大切な問いであり、何が大切な問いではないかを語ったものですが、注目すべきは、ブッダが、「わたしが説かないことは説かないと了解せよ」と、あえて語ることを拒否した事柄がすべて、人間の知の及ばない領域に関するものであることです。そして、そのようにしてブッダが応えることを拒否した問題のひとつが、「人間は死後も存在するかどうか」という問いです。なぜなら、そのような領域に関するわたしたちの詮索は、結局、空想にしかすぎず、したがって、何の役にもたたないからです。事実に基ずく真理(知の領域)以外は真理として認めなかったところにブッダの思想の特徴があると言えるでしょう。そこで尊者マールンキャプッタは、夕方、静思の座から立ち上がって、世尊のところへやってきた。やって来て、世尊に挨拶をして、片隅に座った。片隅に座った尊者マールンキャプッタは世尊に言った。「師よ、わたしが人影のないところへ行って静思しておりましたら、こころに次のような考えがおきました。すわなち、これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。 世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、世界は有限であるとか、世界は無限であるか、魂と身体は同一なものであるとか、魂と身体は別個なものであるとか、人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか…、これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。世尊がわたしに説かれなかったということは、わたしにとって嬉しいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。だからわたしは世尊のところへ参って、この意味を尋ねてみよう……。もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう、と……。」
「マールンキャプッタよ、わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことがあるか。」
「師よ、そのようなことはありません。」
「マールンキャプッタよ、わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、愚かにも、おまえはわたしがそのように説くことを要求し、そのようの説くことをしないわたしを拒もうとしている。(中略)マールンキャプッタよ、世界は永遠であるという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。また世界は永遠ではないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。マールンキャプッタよ、世界は永遠であるという考え方があろうと、世界は永遠ではないという考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。
マールンキャプッタよ、世界は有限であるという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。また世界は無限であるという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。マールンキャプッタよ、世界は有限であるという考え方があろうと、世界は無限であるという考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。
マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである…。
マールンキャプッタよ、ゆえに、わたしが説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは説くと了解せよ。」 以上のことを世尊は語られた。尊者マールンキャプッタは歓喜して世尊の教説を受け入れた。
(『マジマ・ニカーヤ』63抄訳、同上)
(4)権威ではなく事実に徹する
どんなに素晴らしい理想を心に思い描いても、それが事実に基づかず、空想にすぎないなら、ふくれあがったバブルのごとく、やがてはじけて消滅してしまうでしょう。いかに若さを誇っていても、老衰と死が、必ずわたしたちを襲います。そのために、古今東西、世界中の人々は永遠に生き延びる自己を空想して慰めを得ようとしましたが、一人、ブッダは、峻厳なる事実から眼を背けることなく、老衰と死を克服する方法を説いたのです。
カッパさんが尋ねた、「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(非難所、よりどころ)を説いて下さい。あなたは、この苦しみがまたと起こらないような洲(非難所)をわたくしに示してください。親しき方よ。」師は答えた、「カッパよ、極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(非難所)を、わたしは、そなたに説くであろう。いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと --- これが洲(非難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。」
(『スッタ・ニパータ』1092-1094 中村元訳)
わたしは仏教徒ではありませんから、別に、ここに引用したブッダの思想を読者の方々に勧めているわけでもないし、わたし自身、そのまま受け入れているわけでもありません。しかしながら、Nさんのように、仏も神も、仏教もキリスト教も、哲学も思想も、すべて、ひっくるめて同一視する方法には、とても同意しかねます。そのためにわたしは、上記のような例を上げて、同じ仏教でも、これら初期の仏教の教えと、日本に伝わってきた後代の仏教(大乗仏教)の教えの間には、無視してはならないきわめて重要な相違があり、また、同じ「宗教」と言っても、これらの仏教の思想とキリスト教思想との間には、決して調和できない根本的な相違があることを示したつもりです。それらの相違を無視することは、個々の事実を無視することであり、個々の宗教家・思想家の努力を無視する行為であって、わたしには、好ましい学究方法とは思われないのです。
Nさんが自分の信じていることと異なる思想に対しては批判を、同じ思想に対しては同意をされるのなら、わたしにも理解できますが、ブッダもキリストも、ソクラテスもプラトンもアリストテレスも、「えらい人」はみんなは、Nさんが信じていることを主張していたのだ、というような主張をされるとき、わたしはそこになにかとても釈然としないものを感じます。おそらく、信じておられることが、事実の上にではなく、単なる希望的憶測の上に成立しているにすぎないために、自分自身や他人を説得させる手段としての権威のうしろだてを必要とされているからではないでしょうか。わたしが間違っていればさいわいです。
おたより、ありがとうございました。