わたしは、すでに、仏教の経典旧約聖書新約聖書における死後の世界に関する記述を考察してきましたが、ここに、あるひとりの仏教徒の「死後の世界」観を紹介します。それは、わたし自身の「死後の世界」観の形成に大きな影響を与えたものです。


次の一文は著名な仏教学者である故増谷文雄氏の『業と宿業』からの引用です。ここに紹介する氏の一文は、わたし自身の「死後の世界」観の形成において、わたしがもっとも衝撃を受けたものの一つです。そして、それはほとんどそのまま、現在のわたしの「死後の世界」観となっているものです。

死んでから結ぶ果などというものは、どうでもよいではないかという者もあるかもしれないが、それはあまりに見解のせまい、まったく現実的で、利己主義な考えだとしなければなるまい。そんな考え方では、結局、真に生きるに値するような人生はおくれるはずがないのである。けだしわたしどもには、みんな子供もあるし、隣人もあるし、同胞というものもある。わがなきあとには、そんなものはどうなってもよいという訳のものではあるまい。

さらに眼をあげて言えば、わたしどもは、いかに微力であろうとも、なおかつ人類とか世界の運命と、まったく無関係ではないかも知れない。わたしは与謝野晶子さんの歌の一首を感銘深く記憶しているのであるが、それはこうである。

劫初より造りいとなむ殿堂に
     われも黄金の釘一つうつ
人類がはじまってからこのかた、ずっと続けて造りいとなんできた殿堂とは、昌子さんの意味するところでは、たぶん、文学というものであろうかと思われる。その殿堂のすぐれた造営のために、わたしもまた黄金の釘ひとつでも貢献したいという。それが昌子さんの願いというものであり、また意気込みであったに違いあるまい。

そんな能力はわたしにはないけれども、なおかつ、わたしだって、人類の運命や世界の成りゆきについて、まったく無関心ではありえない。それをもまた「劫初より造りいとなむ殿堂」ということをうるならば、たとえ「黄金の釘」ではなくとも、せめて石ころの一つでも貢献をしたいものと思う。それが、この歌一首によせるわたしの感慨なのであり、このこころあって人ははじめて、まことに生きるに値する人生を見出すことをうるであろうと思うのである。

とするならば、わがなきのちに結ぶであろう果こそ、もっとも心しなければなるまいと思えてならない。

(増谷文雄、『業と宿業』より)

何がわたしにとって衝撃的であったかというと、ここで氏が思いを馳せておられる「死後の世界」というものが、死後に氏が行く世界のことではなく、死後に氏があとに残して行くこの世界、つまり「人類の運命や世界の成りゆき」のことだ、ということです。わたしはうまれてはじめて仏教の「無我」という言葉の意味がわかるような思いがしました。同時に、「死後の世界」というと、ただちに、死後における自分の運命や成りゆきのことしか思いを馳せぬ思想が、とても貧弱なものであるように思うようになりました。

いくらひたいに汗し、一生懸命働いても、人間存在が死を以て無と帰するならば、すべての努力はむなしいのではないか。わたしは、ながいあいだ、そのように思っていたのです。しかし、そのように思っていたのは、実は、わたしが自分自身のことしか考えていなかったからではないかと思います。単純な事実は、わたしが死んで塵と帰しても世界は依然として存在し続けるであろうということです。しかも、わたしが今日いかに生きるかということは、その世界と無関係ではあり得ないのです。

劫初より造りいとなむ殿堂に、われも黄金の釘一つうつ(与謝野晶子)

この歌は今わたしの心にも深く刻まれています。

佐倉 哲