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言の葉

(65)

「多くの物語書の中で、源氏物語はとりわけすぐれた傑作であって...」


川端康成はノーベル賞授賞式のスピーチで、『源氏物語』が日本における最高の小説であり、現在でもこれを超えるものはない、と述べましたが、今回紹介するのは、歴史をさかのぼること二百数十年、「多くの物語書の中で、源氏物語はとりわけすぐれた傑作であって、およそ前後に類を絶している」と語った本居宣長のことばです。



多くの物語書の中で、源氏物語はとりわけすぐれた傑作であって、およそ前後に類を絶している。まず、これ以前の古物語は、たいしてこころを入れて書いたとは見えず、ただざっとしたもので、珍奇な興味をもっぱらとし、仰々しいことが多かったりして、どれも物のあわれの面については、こまやかさ、深さが欠けている。またこれ以後の物語は、『狭衣』などは万事『源氏』を見習って心を込めた点はあるものの、ひどく見劣りがする。そのほか、大同小異である。そのなかにあってひとりこの『源氏物語』は、心のこもった深刻な傑作で、文章が立派であるのはむろんのこと、この世に生きる人間の姿態、春夏秋冬の空のけしき、草木のありさまにいたるまで、すべてその描き方がすぐれている。とりわけ男女一人一人の挙措、言動や心の姿を、それぞれ別様に描き分けて、ほめているなど、個性に応じて一様でなく、現にその人と向き合っているかのように想像される。これは、なみたいていの筆の及ぶところではない。

また、漢籍などは、すぐれているといわれるものでも、この世の人間がことにふれて思う心のありさまを書く場合など、ほんのざっと書いてあるだけで、ひどくお粗末で浅薄なのが多い。だいたい人間の心というものは、漢籍に書いてあるように、一方に固定したままのものではない。心に何か深く思い染めたさいには、あれやこれやと、くどいばかり女々しく、乱れあって、定まりにくく、いろいろと隈の多いものだが、この物語は心のそうしたわずらわしい隅々まで、残るかたなく、精細に書きあらわしている。それはまるで曇りのない鏡に映し、それと向かい合っているごときで、およそ人間の諸相を描くことにかけては、本朝漢士(やまともろこし)、過去はもとより尽未来、比べるものはあるまいと思われる。

また、どの巻にも、珍奇で仰々しく、人の目をおどらかすようなことはほとんどなく、始めから終わりまで、ただ世の常の平凡なことの、似たような方面のことばかり書いていて、ひどく長い物語なのだが、読んで読みあきず、さらにその先を読みたいという気に駆られるのである。自分は弟子たちのため、以前からこの物語を何度も繰り返し講義してきたが、他の本だと、こう長くないものでも飽きがきやすいものなのに、この長編は、何年にわたって講義しても、いっこう退屈せず、やるたびに初めて読んだような気がし、新鮮で面白く感じられる。それにつけても、非常にすぐれた作であることがわかり、かえすがえす見事だと思うのである。

--- 本居宣長『源氏物語玉の小櫛』(1995年、石川淳編集、西郷信綱訳、中央公論社『日本の名著21:本居宣長』より)---