今回紹介するのは、江戸時代の浄瑠璃作家、近松半二のことばです。
昔、中国に楚南公と言う人がいて、子雲に質問した。「天地には際限が有るのか、それとも無いのか。」子雲が答えて言った。「聖人というものは、天地の中のことは語っても、天地の外の事は語らないものだ。」楚南公はそれを聞いて笑ってこう言った。「聖人が“言わない”といえば、知っているけれどあえて言わないのだというふうに聞こえるが、実は聖人も知らないのだ。“知らない”と素直に言えば良いものを、負け惜しみで“言わない”などという。」彼がここう言い放ったのはもっともなことだ。今つくづくと考えて見るに、この天地はいつ始まったのだろうか。漢の司馬遷という馬鹿者が「天皇氏」だの「地皇氏」だのと誰も知らないものを書きならべて、これをもって天地開闢の始めとしているが、そんなものには何の証拠もない。