オウム事件で彗星のごとく現れたジャーナリスト江川紹子。彼女は日本ジャーナリズムの宗教音痴を代表する。宗教に関心を持たず、宗教をまったく理解しないままで、オウム事件を報道することができると思い込んでいるこのジャーナリストが、オウム事件報道の代表となったことはオウム事件の第二の悲劇と言えるであろう。第一の悲劇を通して日本人は宗教の本質に迫るチャンスを与えられたのに、江川紹子のジャーナリズムによって、日本人は宗教について考える貴重な機会を失っているのだ。今回紹介するのは吉本隆明の江川紹子批判です。
もし麻原彰晃が、市民社会における悪をなしたからといって、これが本質的、絶対的な悪とはいえないという宗教的世界観をもっていたとすれば、その根拠がなんであるかが明らかにされていない・・・。それが明らかにされないと、人間の集団や個人の闇の部分を含めて理解しようとする観点が貫徹できないのです。
・・・ジャーナリストについてはいちいちいうのは大人げないからあまりいいたくないんですが、江川紹子という人は自分が宗教をわかっていないことの自覚がまったくありません。そこはおかしいというべきです。すくなくとも自分は宗教がわからないのでそれには触れないが、市民社会の犯罪とか法律的犯罪でいえばこうだと限定をつけなければこの人のいうことは成り立たないと思います。
つまり、この人は宗教について触れずに不当な殺伐者という面だけからいおうとしています。それは部分的にいうことだからいってもいいんですが、自分の考えはここが足りないとか、知識がないから触れないとか、前提をつけなければ彼女のいっていることは通用しないしろものです。
宗教に関心もないし、わからないという点では評論家の小浜逸郎も同じです。あんなつまらないことを書いていていい気になるな、というほか批判にも論争にもならないんです。小浜逸郎に対しては、バカ、勉強しろ、とでもいっておきましょうか。