いったいどのようにして日本は自国よりも20倍の国力を持つアメリカ合衆国と戦争をする決意をしたのだろうか。当時、石油の75パーセントをアメリカ合衆国からの輸入に依存していた日本は、フランス領南インドシナ(ベトナム)に侵攻したことで、アメリカ合衆国から米国内の日本資産凍結と石油輸出禁止という経済制裁を受けた。以下の文は、具体的に対米戦争決意を国策案として書いた元陸軍中佐石井秋穂の戦争決意の言葉である。彼の書いた国策案が御前会議で認められ、日本はアメリカ合衆国と戦争をすることになったのである。
わしらがまっさきに第一弾をやれば、それがね、大切な国策になるんですな。だいぶん修正をくうこともありますけど・・・まあ、そのくらい重要なものでした。それみんな死んだ。生きとるのはわしだけ。そういう国策をね、いちばんよけい書いたのはわしでしょう。やっぱりわしが第一人者でしょう。罪は深いですよ・・・。
[米国による]資産凍結を受けてね、わしはあれから約一週間ばかり考え通したですよ。どうしようか、と。それからはもう夜も昼も、家におっても役所に出ても、そればっかりを考えた。そしてね、[米国から]もう一滴の[石]油も来なくなりました。それを確認した上でね、わしは戦争を決意した。もうこれは戦争よりほかはないと、戦争を始めて決意した。