何を置いてもまず精神としての聖徳太子というものに、異常な関心を寄せて書かれている点で、亀井勝一郎氏の「聖徳太子」伝は特色ある著書である。私には亀井氏のような信念をもって、この人物を語ることはできないが、かつて、仏典の解釈書としては、何を選ぶべきかを亀井氏に訊ね、言下に、太子の「経疏」だと言われて、それを読んだとき、異常な感に襲われた。あんな未開な時代の一体どこに、このような高度な思想をはめ込んだらいいのか。それは、私がかってに作り上げていた漠然たる歴史感覚の平衡を、突然狂わせる様子であった。……「経疏」に、どれほどの太子独創の解釈があるかというような事は、私にはわからないし、わからなくてもよいように思われる。彼が、仏典の一解釈などを試みようとしたはずはないからである。仏典をもたらしたものは僧であるが、これを受け取ったものは、日本最初の思想家なのであり、彼のうちで、仏典は、精神の普遍性に関する明瞭な自覚となって燃えた。そういうことだっただろうと思われる。燃え上がった彼の精神はただひとえに正しく徹底的に考えようと努めたに違いない。