また私の十二、三歳のころと思う。兄が何か反故をそろえているところを、私がドタバタ踏んで通ったところが兄が大喝一声、コリャ待てとひどく叱りつけて、「お前は眼が見えぬか、これを見なさい、なんと書いてある、奥平大膳太夫とお名があるではないか」とたいそうな剣幕だから、「アアそうでございましたか、私は知らなんだ」というと、「知らんといっても眼があればみえるはずじゃ、お名を足で踏むとはどういう心得である、臣子の道は」と、何かむずかしい事を並べて厳しく叱るから謝らずにはいられぬ。「私が誠に悪うございましたから堪忍して下さい」とお辞儀をして謝ったけれど、心の中では謝りも何もせぬ。「何のことだろう、殿様の顔でも踏みはしなかろう、名の書いてある紙を踏んだからって構うことはなさそうなものだ」とはなはだ不平で、ソレカラ子供心にひとり思案して、兄さんのいうように殿様の名の書いてある反故を踏んで悪いといえば、神様の名の札を踏んだらどうだろうと思って、ひとの見ぬところでお札を踏んでみたところが何ともない。「ウム、何ともない、コリャ面白い、今度はこれを洗手場に持っていってやろう」と、一歩進めて便所に試みて、その時はどうかあろうかと少し怖かったが、後で何ともない。「ソリャ見た事か、兄さんが余計な、あんな事をいわんでもよいのじゃ」とひとり発明したようなものだったが、こればかりは母にも言われず姉にも言われず、いえばきっと叱られるから、一人でそっと黙っていました。
ソレカラ一つも二つも年を取ればおのずから度胸もよくなったとみえて、年寄りなどの話にする神罰冥罰なんという事は大嘘だとひとりみずから信じ切って、今度は一つ稲荷様を見てやろうという野心を起こして、私の養子になっていた叔父の家の稲荷の社のなかに何がはいっているか知らぬとあけてみたら、石がはいっているから、その石をうっちゃってしまって代わりの石を拾うて入れておき、また隣家の下村という屋敷の稲荷様を開けてみれば、神体は何か木の札で、これも取って棄ててしまい平気な顔していると、間もなく初午になって、のぼりを立てたり太鼓を叩いたり御神酒を上げてワイワイしているから、私はおかしい。「馬鹿め、おれの入れておいた石に御神酒を上げて拝んでいるとは面白い」と、ひとり嬉しがっていたというようなわけで、幼少の時から神様が怖いだのいう事はちょいともない。占い呪いいっさい不信仰で、狐狸が付くというようなことは初めから馬鹿にして少しも信じない。子供ながらも精神は誠にカラリとしたものでした。