こんにちは。佐倉さま。 お久しぶりです。
再反論を送り、次いで それへの再々反論を待っていただきたいという内容のメールを再び送った、 cooooooolでない石田です。
やっと再反論 ver.2 が完成しましたのでお送りさせていただきます。 前のバージョンとの変更があるのは「3.」のみです。
ご意見、よろしくお願いします。
拙ページにもアップ完了いたしました。
佐倉さまの反論の全文を掲載したこと以外、内容はまったく同一です。
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/qb4/chishu/ronron/clone/010521.htmlご参考までに。
では、失礼いたします。
「再反論 ver.2」を読ませていただきました。ほとんど何も変わっていないようです。前回は「本能」について反論しましたので、ここではそれ以外の部分に関してわたしの意見を述べさせていただきます。
1.「人間は無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長い・・・」
「人間は無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長いと言えるでしょう。」という言葉ですが、これが言葉足らずであることをぜひ指摘させてください。・・・[こ]の言辞は、生物全体の歴史をそのまま人間の歴史ででもあるかのように捉えた間違った地点から発せられた間違った言辞であると考えられます。それを指摘させてください。
ご指摘は、少々、揚げ足取りのように思えます。わたしたちの学ぶ「日本歴史」では、旧石器人や縄文人や弥生人にさかのぼります。旧石器人や縄文人や弥生人とはまったく関係のない、「日本人」という生物が突如存在するようになったわけではないからです。同様に、わたしたちの学ぶ「人類の歴史」では、人間がまだ「ヒト」と呼ばれる以前の時代にさかのぼります。進化論によれば、ヒトという生物が突然無から生じたわけではなく、それ以前の状態から進化して「ヒト」呼ばれる状態に変わったに過ぎないからです。したがって、「人間は無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長い」という表現が意味するところは、わたしは、充分伝わっていると思います。
しかし、石田さんのように、「生物全体の歴史をそのまま人間の歴史ででもあるかのように捉えた」といった、まったく異なる意味に誤解する方もおられるかもしれませんので、つぎのように、訂正しておきます。
人類の全歴史、すなわち人類とその先祖たちの歴史を眺めてみれば、わたしたちは、無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長い・・・
ところで、わたしの意味したことではありませんが、「生物全体の歴史」をながめてみても、あるいは、現存の生物の世界そのものを見ても、無性生殖(クローン)で増殖しているものは、決して例外ではなく、生物の自然な形態のひとつです。つまり、有性生殖も無性生殖も自然のすがたです。したがって、人類がふたたび無性生殖(クローン)で増殖するとしても、それは特別なことではありません。そのうえ、人類は、一卵性双生児のように、かつてその祖先が無性生殖(クローン)で増殖していたその方法を、今でも、続けているわけです。
ついでに、一言付け加えておきますと、たとえ、無性生殖(クローン)が自然界になかったとしても、それを新しく始めてはいけない理由は一つもありません。何億年もの間、たいして変化をしない生物もなくはありませんが、多くの生物は、人類の系統も含めて、むしろ、さまざまな新しいやり方を身に付けて変化してきたものだからです。進化論によると、たとえば、「前脚を歩行目的以外に使うのは本能に反する」とかれらが考えたかどうかはわかりませんが、結果的に、二本足歩行という新しい変化を身に付けなかったわたしたちの祖先の一部は、いまでも猿のまま存続していますが、二本足歩行という新しい変化を身に付けわたしたちの祖先の別の一部は、人間となり、わたしたちの知っている文化を造り上げました。わたしは、わたしたちの祖先が果敢に新しい変化を取り入れ続けてきたことは、基本的に、よかったと思っています。
2.体細胞に由来するヒトクローンと双子は「同じ現象」?
佐倉さまは、体細胞に由来するヒトクローンの製造と、セックスすることによって生まれて来る子どもが双子として生まれてくることとを同じ現象と捉えていらっしゃるのですね。「同じ現象」(違いがない)なんてわたしはどこでも言っていません。違いがあるのは誰の目にも明らかで、指摘するまでのことではありません。わたしはどちらもクローンであるという事実を指摘しているだけです。石田さんのように、<ヒトクローン反対>を旗印にするなら、双子の存在にも反対しなければ、筋が通らないことを指摘したのです。双子がヒトクローンであるという初歩的な知識さえ持っていない人々が少なくないからです。石田さんも、もし、そのことを知っておられたなら、「ヒトクローンに反対です」という形の主張にはならなかったはずです。
3.成体細胞クローンと受精卵クローンの違い
「双子がいる。どちらがどちらの複製か?」と問うのも無意味いです。なぜなら、どちらも、どちらかの複製ではないからです。・・・成体の体細胞に由来するヒトクローンの場合は60兆マイナス1対1です。どんなにその違いならべたてても、どちらもクローンである事実に変わりはありません。したがって、石田さんがもし、一卵性双生児の存在に反対できないのなら、石田さんが反対している対象は絶対にヒトクローンそのものではありえないのです。これがわたしがはじめから指摘していることなのです。それは、石田さんが、一体、何に反対しているのかを突き止めるためです。
まさか、「60兆マイナス1対1」が石田さんの反対の理由ではありますまい。あるいは、双子は「どちらも、どちらかの複製ではない」から許される、などと言わんとされているわけでもありますまい。こんなものは、石田さんご自身にとっても、成体細胞クローンに反対する根拠としては何の説得力も持っていないことでしょう。
石田さんがクローンに反対するのは別に理由があるのです。
4.危険?
細胞の中には核しかないわけではありません。細胞質という、細胞膜に囲まれ、かつ核を囲むモノがあります。その中の物質やミトコンドリアが核や核の分裂、細胞のその後の成長に影響を与えないわけがありません。ですから、核だけに焦点を凝縮するのは危険であるとわたしは考えます。そんなことが反対理由なら、石田さんは移植手術にも反対しなければなりません。同じような危険は、移植手術についても言えるからです。移植手術は異なった遺伝子を持った他人の臓器を持ち込むため、拒絶反応を起こす大きな危険があるからです。
ところで、プリンストン大学のシルバー教授によれば、「クローンで生まれてくる子どもが自然な妊娠で生まれてくる子どもより、遺伝的な問題をもつ可能性が高いという科学的根拠はない」(『複製されるヒト』、123頁)そうですが、仮に石田さんの考えが正しいとしても、それは技術上の問題であって、危険がなくなれば反対する理由はなくなります。技術的に危険ということならば、クローン技術に限らず、車の運転や医術の発展でも同じことであって、未熟な運転手には車を運転させないとか、未熟な医者には危険な手術をさせないということであって、車の運転そのもの、あるいは手術そのものに反対する理由にはなりません。つまり、技術上の問題は、クローンを創ることそのものに反対する理由にはなりません。むしろ、「だから、運転技術を、医学技術を、クローン技術をもっと発展させよう」、ということになるでしょう。そもそも、とおい将来、化学物質から生命体を作り出す技術が開発されれば、クローンを創るのに、成体の細胞を利用する必要さえなくなるのです。
人類があたらしい一歩を踏み出そうとしているのです。いままでだれも踏み入ったことのない領域に、足を踏み込もうとしているのです。危険なのは当たり前です。
一つのセックスで射精される精子の数は約一億だそうですが、そのなかで、卵子にたどり着いて、受精卵のいちぶとなりうる精子はたったの一個です。その他の一億の精子はみなむなしく憤死します。精子という生命体にとって、危険といえばこれほど危険なことはありません。自然の営みは、このように、ものすごい数の生命を犠牲にする、無情で、非常に無駄の多い、盲目的行為のように見えます。人間は、いつか、この「数打ちゃ当たる」式の自然のやり方を克服する日を迎えるかもしれません。
それにしても、「ミトコンドリア、云々」が理由で、石田さんはヒトクローン反対に回られたわけではないでしょう?石田さんご自身がヒトクローン反対に回られた理由は別にあるのですから、それを正直に語っていただければ、わたしたちの対話はクローン問題の核心に迫ることができるのです。
5.それは宗教
わたしが疑義を呈するのは、科学的で人為的な手段を用いて「体細胞に由来するヒトクローン」を製造しようとする一連の動きです。ああ、やっとここに、石田さんが隠し通そうとしておられる、ヒトクローンに反対しておられる本当の理由、その正体をかいま見ることができます。それは、ヒトクローンそのものへの反対などではなく、「科学的で人為的な手段を用」いて生命を造ることへの反対だったのです。造られるものが異なる遺伝子をもつ(すなわちクローンではない)生命でも、同じように、反対だったに違いありません。できる生命がクローンかどうかということは、はじめから問題ではなかったのです。問題は、人為的に生命を造りだすところにあったのです。
しかし、どうして人為的に生命を造りだすことがいけないのでしょうか。それは生命を造るのは神(自然)の仕事だ(と信じておられる)からでしょう。人為的に生命を造ってはいけない客観的な理由などどこにもないからです。つまり、石田さんがヒトクローンに反対しておられる本当の理由は宗教なのです。
あとからくっつけたようなへ理屈ではなく、ヒトクローンに反対しておられる石田さんの本当の理由がわかれば、石田さんの立場は、論理的につじつまが合い、よく理解できます。それと同時に、石田さんが宗教的理由を前面に押し出すことができなかったことにも同情できます。宗教的理由はそれを信じていない者には通用しないからです。そのうえ、宗教を理由に法律を作り一般人を縛りつけるのは今日の日本の社会では悪いことだとされています。だから、石田さんは、ヒトクローンに反対する本当の理由が宗教であることを、おおやけに認めるわけにはいかなかったのでしょう。
6.偏見
わたしの素朴な感情を佐倉さまが「偏見的感情」と言うのは過言です。 ガダマが指摘するように、人間は誰しもが先入見を持っています。わたしは先入見を持つことを恐れはしません石田さんが、自分のクローンが欲しくないならつくらなければよいでしょう。自分が欲しくないからといって、他人の選択を阻止しようとする偏見(「糾弾する」)に対しては、やはり、「恐れ」をもっていただきたいと思います。よほどの理由がないかぎり、他人の自由を束縛することは、慎むべきではないでしょうか。
ところで、聖書によると、神はアダムを土から造った後、成長したアダムの体の一部から、エバを造ったことになっています。
主なる神は言われた。「人(アダム)が独りでいるのはよくない。彼に合う助け手を造ろう。」・・・主なる神はそこで、人(アダム)を深い眠りに落とされた。人(アダム)が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人(アダム)から抜き取ったあばら骨で女(エバ)を造り上げられた。そういうこともあって、ユダヤ教のラビや倫理学者たちは、人間のクローンを「原則的には容認しようとしている」のだそうです。(「エバは最初のクローン人間」参照。)わたしの立場は、さしずめ、ミシュナーの古典的な注解書『ティフェレット・イスラエル』の例をあげて、(創世記、2:18〜22)
いかなることも、禁じられる理由をもたないならば、正当化する理由の必要なく許される。という、ヘブライ大学のハダッサ医科大学院の医療倫理センターの理事であり、シャアレー・ツェデク・メディカル・センターの小児神経学者であるスタインバーグ氏の立場にもっとも近いといえるでしょう。
石田さんのやりかたは、ただ「嫌なやつだ」という感情だけで、無実の人間を逮捕しておいて、あとから、かれを犯罪人に仕立て上げるためにあれこれ画策しているようなものです。真の犯人は石田さんの心の中に潜んでいるのではありませんか。クローンが問題なのではなく、宗教的ドグマに由来する偏見が問題なのではありませんか。