わざわざメールを下さって有り難うございます。私が見つけることができなかった教材まで教えていただいて恐縮です。さっそく、じっくりと勉強させていただきます。

 ところでついでですが、いくつか気づいたことや情報など。佐倉さんの「キリスト教・聖書に関する来訪者の声」に対しての「作者より・・」のどこかで、「聖書」全文がおいてあるWebアドレスが書いてありましたが、訪ねてみると、「都合により閉鎖します」という意味のことが書いてあるだけでした。そこでいろいろ探したところ、http://members.xoom.com/asyura2/bible.htm に「旧・新約」の日本語訳が置いてありました。中身は「新改訳聖書」と書いてあるだけで、いつ頃のものかはよく分かりません。ただし明らかに誤字と分かる個所がいくつもあります。どうやらここにおいてある聖書は「聖霊の守り」を・・・。(^^)

 どこかで、佐倉さんが「ぜひ聖書を読んでみて下さい」とおっしゃってありましたので、その気になって今読んでいる最中です。とりわけ「旧約聖書」を読むのは初めてです。そしてなるほど、これはキリスト教をよく理解するには「旧約」をぜひ読むべきだなあ、と思います。キリスト教二千年の歴史は、実は「イエス」の道ではなく、「モーセ」の道をたどったのではないでしょうか。つまり「モーセ」は「隣人(これはあきらかに同信の人の意でしょう)は愛せ。敵は殺せ」であり、一方イエスは「汝の敵を愛せ」と言ったにも関わらずです。

 しかし不思議でならないことは、なぜにこのような残酷な物語ばかり出てくる「旧約聖書」を「新約」とセットにしてあるのでしょうか。また、クリスチャンの方は皆この「旧約聖書」もきちんと読んでいるのでしょうか。読めば読むほど、考えれば考えるほど不可解に思えてなりません。全部読み切ったら、いずれ率直な感想を申し上げたいです。

 また、「征服の踊り」に関してですが、ネイティブアメリカンの人たちのことは「アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)の魂(http://www2c.airnet.ne.jp/assisi/Influence/Native/Native.htm)」にも詳しく掲載されています。どうも涙無しには読めませんでした。

 それと「和の思想」ですが、伝統的に日本人は「和」を重んじてきた、ということと関連があるかもしれません。「イロコイ連邦とは(http://www.ryukyu.ne.jp/‾champloo/sirofune/IROKOI.HTM)」です。これが事実とするなら、縄文の時代には殺人はまれであったという、南方系モンゴロイドの伝統文化や先住民の思想のヒントになるかもしれません。

 ずいぶんたくさんのメールが佐倉さんのもとに押し寄せているようですので(私もその一人(^^;))、お忙しいのでしょうが、最近「新作エッセイ」が見られないのが残念ですが、これからもよろしくお願いします。

wagamind@jiyu.net.np 佐田恆行



(1)大森庄蔵の『新知覚新論』

さっそく、じっくりと勉強させていただきます
大森氏の「心」「私」「知覚」などに関する研究は「じっくりと」吟味するに充分価値あるものだと思います。


(2)「旧約聖書」

不思議でならないことは、なぜにこのような残酷な物語ばかり出てくる「旧約聖書」を「新約」とセットにしてあるのでしょうか。また、クリスチャンの方は皆この「旧約聖書」もきちんと読んでいるのでしょうか。
もちろん旧約聖書は「残酷な物語ばかり」ではありませんが、クリスチャンとしては触れてほしくない物語がたくさん含まれているのは確かです。実は、旧約聖書抜きでキリスト教の正典(福音書とパウロの書簡だけを認める)を定めようとする運動がキリスト教歴史の初期にはありました。マルキオン(西暦85年頃〜160年頃)のキリスト教活動です。彼は、旧約聖書に見える厳しい神の性格が、キリスト教で教える愛の神と、あまりにもかけ離れていると、考えたのです。彼の運動は広く支持されていましたが、ローマの教会(後のカトリック教会)によって異端として批判されることになり、彼の運動はキリスト教の中心になることはできませんでした。