私は 37歳の 平凡な 男です。 私は 自分のことを 仏陀の 生まれ変わりとは 想いませんが しかし 仏陀の本心は 良く理解しているつもりです。
おおかわさんとか あさはらさんとか その他 多くの 真面目な 宗教家たち 多くの 解脱者たちと 同じ位に 真実の ゴータマ シッダルタの苦悩が 理解で きます
貧しき者 病める者 迷える者を ひとりでも 多く救いたい。 彼は 人生を 他人の しあわせのために 捧げることこそが 自分自身の しあわせであると 「悟った」 のでしょう。しかし 彼には 人々を 救う お金がなかった。 ちからもなかった。 くすりも もっていなかった。
悲しかった。 苦しむ人々を 目の前にして 何もできない 自分が 悲しかっ た。 「ああ ・・ わたし ひとりの ちからでは ・・・・・・」 彼は 苦悩した。 そして 考えた。 人間にとって いちばん大切な ことって なんだろう 生きるために いちばん 必要なものって? そう 「こころ」 である。 こころのやすらぎ こそが いちばん 大切では ないだろうか。 いくら 貧しくても 明日への希望さえあれば 人は つよく生きていけるはず。 そうだ 私は 人々に 生きる希望を 説いてゆこう。 こころの やすらぎをあたえよう。 そして そのためには 私の言葉を 多くの人々に真剣に 聞いてもらう 必要がある。 信じてもらう必要がある。 だから 私は あえて神の言葉を 使う。 ちっぽけな 私自身の言葉より 神の言葉を 人は求める。 たとえ 神が実在しないとしても・・・・・
真理を求める者より
真理はしばしばひとを絶望させます。非真理(嘘)はしばしばひとに希望をいだかせます。真実から目を背け、希望を抱かせるために人類は「非真理(嘘)」を発明したのです。わたしは、わたしに希望を抱かせる非真理よりも、わたしを絶望させる真理を選びます。