神秘主義者


こんにちは、フォックスです。池田さんの案内でこのサイトにきました。暇だったら、下の文章を読んでみてください。

これらの文章は、池田さんのサイトや他のサイトに書いたものをまとめたもので神秘主義の観点に立って書いています。初めての方に神秘主義を表すのは 変に思われてしまうかもしれませんが世の中にはこんな考えの人間もいるということです。

私がキリスト教を嫌いなのは、神を人の外に置き神が人の上にあり人を軽視しかねないということです。神と人を遠くした。

しかし、ただ嫌うだけでなくもっとキリスト教を知った後で判断すればいいと思いつきました。まだあまり知っているわけではないのですが。イエス・キリストの考えの受け入れる事、愛は私にとっては難しいけどたいせつな考えだと思います。私は、以前はこの考えは実用的でなく役に立たない考えだと思っていました。しかし、この考えは人が人として生きているうちに人を思わづ傷つけてしまうまた、自分自身も傷つけてしまう。そいったことを考えればこの考えの重要性を感じます。

イエス・キリストは一つの道を示しましたと思います。

イエス・キリストはなにより受け入れる事(愛)を説いています。しかし、イエス・キリストじたいの事は、分かりませんがキリスト教は神を人の外に置いたという事は、見方によっては神と自分を受け入れてないし神と自分の関係を認めてないと言えないでしょうか。神と自分を遠くし、キリスト教はごたぶんにもれず儀式化しています。 また、一部の教会や組織は、イエス・キリストの愛の考えを理解できずドンパチやっています。

しかし、祈る人はある意味で宗教や教会よりイエス・キリストの考えや神に近いと思います。儀式化した宗教がありその中で人が祈りをしたとします。儀式化した宗教は真理から離れ何の価値も無いとしても、祈る人の行為のなかに又、行為そのものに真理があるかもしれません。人の為に祈れば人への思いやりに自分の為に祈れば自分を受け入れることに。それは、人を認める事であり、人としての真理そのものだと思います。

話しか変わって聖書は別名は、改ざんの書と言われていますし、キリスト教の神秘主義的なものは隠されてしまいました。 また、キリスト教には生まれ変わりの思想があったようです。キリスト教に限らず多くのものが隠されました。それは時代の意思かもしれません。


最後に現実感について 

自然の中に心の投影や絶妙さを見いだせることをただの思いこみと言う人は、 自分を囲む常識とは何かと考えず又、感じづただ常識の草原でたたずんでいるだけ だと思います。

宇宙の果てこの世界の時間の始まり、そして終わりを考えてみたときこの世界 は、そんなに確かなものでしょうか。(しかしこの世界には、法則があります。)

心には力があります。神秘主義者より。フォックス 

神秘主義とは何なのか、これだけではよくわかりませんので、なんとも応答のしようがないのですが、もし、神秘主義とは「自然の中に心の投影や絶妙さを見いだせること」というぐらいのものなら、なにも神秘主義というほどのことでもないだろうと思われます。

しかし、もし、神秘主義というものが、わたしたちの知識の届かない領域(死後の世界、霊界、神など)に関する断定であるならば、どんなに詩的な言葉で美しく飾り立てようと、単なるひとの思い込みに過ぎず、そのひとがそれを信じたいという欲望だけで成立しているものですから、認識的価値はゼロです。それは、重病人に対して「あなたは健康ですよ」と一時的にだまくらかすようなウソを、自分自身に対しても言い聞かせて、一時的な安心立命を決め込んでいるにすぎず、ものごとの本質的な解決には何の役にも立ちません。