佐倉哲エッセイ集

日本と世界に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


荒木さんより

99年5月3日

問題のすり替えのように思います

ここのホームページは気に入っていてよくきています。しかし日の丸、君が代についてのご意見には違和感を強く感じます。(括弧つきの番号は佐倉さんの文章番号と対応しています)

「月面にアメリカ国旗をたてた」とありますが、あれはアメリカ政府のお金でいったのですからある意味で当然です。関心できる(愛国心がある)ことの根拠とは思えません。

スポーツの試合は国家とは関係ないものです。だから愛国心といえるかもしれません。しかし歌う理由が分かりません。 高校野球の校歌なら分かる気もしますが。アメリカで歌うのは勝手ですが、だからといって「歌ったほうがいい」ということではありません。


(1)国際的な場面で所属国を示す旗が必要なことはいうまでもありません。日本の旗が日の丸ということは学校教材の地図帳にも載っています。


(2)君が代は憲法の精神に反してないということはすくなくとも形式的には正しいと思います。

しかし護憲派が憲法擁護を主張するのは9条についてのことでしょう。第一章の天皇についての条文を擁護せよという護憲派は聞いたことがありません。憲法問題についての一番大きな論点が9条だから9条について便宜的に改憲、護憲と区別していると理解しています。護憲派の論理が一貫してないというのは形式的な面だけとらえたいいがかりではないのですか?一章については護憲派、改憲派の顔ぶれは逆転するかまたは互いに逆方向の改憲をとなえることになるとおもいます。


(3)「君が代」の「君」ですがこの言葉は特定個人をさす言葉でないのですか?国民というある意味での抽象名詞をさすとは思えません。国民全員の個人個人が君としても「君」という言葉が複数をさすとは思えません。

「君が代」を歌うときに天皇を連想するひとは少ないということですが、だれしも一度は意味を考えませんか? さっぱり意味がわからないまま歌いつづけるひとが多いとはわたしには思えません。(歌っているときに意識はなくても意味は知ってるのだと思います。)

単に喜びを表す言葉と認識されて感嘆詞としての意味合いもある万歳と「国歌」といわれる君が代を一緒にしていいのでしょうか。

さらに意味を知らない人ばかりとしても、無意識にはたらきかける効果はあるとおもいませんか?。

大体いい曲とも思えないし、日本のいいところを表現しているとも思えません。


(4)国旗が必要なことはすでに認めています。


(5)イニシエーションについて

あくまでも個人的考えですが、昔からあるイニシエーションはある特定の人間集団がそれぞれの地域で生存していくために必要なもので、その集団の生活の仕方、生存の方法(おそらくその時代、地域で生きていくための知恵の集まり)に従うようにするためのものだろうと思います。

そして平等、職業選択の自由、宗教、思想・信条、表現の自由が憲法に明記されている今の時代に国家的イニシエーションが果たして必要なのか。必要があるとすれば家族や地域社会(たいていは少数)または職業などで互いに共通点を持つ集団ぐらいと思います。(元服も武士だけだし、幕府や大名が広い地域から多勢のひとを集めてやったわけではないでしょう。個々の武士が当然のごとく勝手にやったのではないのですか。(これは推測ですが))


(6)歌いたい人は別に集まって勝手に歌えばいいのではないですか。(極論かもしれないけれど)

    


作者より荒木さんへ

99年5月9日


(1)アメリカと国歌

アメリカで歌うのは勝手ですが、だからといって「歌ったほうがいい」ということではありません。
もちろんそうですが、アメリカについては、「佐倉さまはアメリカの事情も詳しいと思いますので、どのように感じるか?お聞かせ願えれば幸いです」というご質問にお応えして、わたしが住んでいるアメリカにおける事情が、日本とかなり違っていることを述べただけです。つまり、アメリカ合衆国においては、日本と違って、愛国心は悪とは考えられていないこと。また、アメリカ人は、日本人と違って、国旗や国歌が大好きなこと。そのような事情を報告しただけです。

ところで、アメリカの小学校の事情について書き忘れていたので、つぎのような事実も、付け足しておきました。

わたしの住んでいる町には公立の小学校がいくつかあります。毎朝、子供たちは各クラスで手を胸に当てて教室にある国旗の前で、国歌を歌わされます。毎朝です! 知り合いの5年生になるS君に聞くと、歌わないと先生に注意され、とても歌わずに済ませる雰囲気ではないのだそうです。
ご存知かもしれませんが、ワシントンのシンクタンク「ハドソン研究所」の首席研究員の日高義樹氏の著書に『アメリカ国粋主義』という本がありますが、いささか大げさとも思われる「国粋主義」という表現も、たぶん、民主主義と自由と個人主義の国アメリカには愛国主義・愛国心教育などないだろうと思い込んでいる多くの日本の読者を想定してのことでしょう。

古代アテネにおいても愛国心と民主主義は同居していました。わたしは、アメリカのように、ことさらに愛国心を高めるような教育を日本の子供たちにはして欲しくないと思います。しかし、日本においては、あたかも愛国心が民主主義や自由主義とは相容れないかのごとく思い込んで「君が代」や「日の丸」に反対する人々もいるわけで、そういう人々にとって、アメリカ合衆国の事情は示唆的だろうと思います。


(2)護憲運動

護憲派が憲法擁護を主張するのは9条についてのことでしょう。第一章の天皇についての条文を擁護せよという護憲派は聞いたことがありません。
日本における護憲運動の代表の一人である作家、井上ひさしはつぎのように言っています。
日本国憲法で決めてある以上は象徴天皇制も大切にしよう、そうしないと第九条も大事にできないから・・・。

(井上ひさし、樋口陽一著、『日本国憲法を読み直す』、講談社、39頁)

日本において象徴天皇制を定着させた責任の一端は現憲法を神棚に祭り上げた戦後の護憲運動にあります。天皇制を否定するなら、国歌や国旗を卒業式にボイコットするなどというセコイことをやって自己満足なんかしていないで、正々堂々と、憲法を変えるなり、新憲法を樹立するなりして、天皇制を廃止すればよいのです。護憲派のように、もし、象徴天皇制を認めるなら、天皇制が代々安泰であることを謳うにすぎない「君が代」の内容に反対する理由は消滅します。


(3)「君が代」の「君」

「君が代」の「君」ですがこの言葉は特定個人をさす言葉でないのですか?国民というある意味での抽象名詞をさすとは思えません。国民全員の個人個人が君としても「君」という言葉が複数をさすとは思えません。
すこし誤解しておられるようです。わたしは「君」が国民を「指している」と言ったのではなく、それを国家の主権者と「意味付け」できないこともない、と言ったのです。言葉はシンボルにすぎないのであって、言葉の意味は固定したものではなく、それを使うもの(人間)が新しく意味付けするものです。言葉というものは、昔はこういう意味で使われていたが、いまではこういう意味でも使われる、という性質をもったダイナミックなものです。

たとえば、「国」という字をよく眺めてみます。国という文字は「王」を囲む四角でできています。この文字は、国家というものは「王」を中心にしたエンティティーであるという考えをもっていた時代・学者の産物なのでしょう。しかし、今わたしたちは、「王」を中心にした国家とは別の意味をこの「国」という文字に意味付けして使用しています。

同じように、「君」が天皇を意味しているとしても、「国家の主権者」と言う意味を、現代的使用として、あたらしく付け加えてもよいだろう、というのがわたしの述べたことでした。ちなみに、憲法第一条によれば、「日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴」という天皇の地位は、「(主権を持っている)日本国民の総意に基づく」となっています。「君=国家の主権者」とするのは、それほど無理な意味付けとは思われません。

念のために、述べておきますが、わたしは、それがいちばんよい解決方法だ、と言っているわけではありません。「君が代」より、もっとよい代案があればいつでもそれを選択するでしょう。ただ、いまだに一部の日本人の間で繰り返されている、「君が代」を歌うのは軍国主義の復活だ、などというつまらない政治宣伝の、その根拠の希薄さ、新鮮味のなさ、そのウソに、わたしがうんざりしているということもあって、別の可能性を試みたわけです。「危険だから、触るな、食べるな」という立場もあるかもしれないが、「毒を抜けばフグも食える」という選択肢もある、というわけです。


(4)義務教育

平等、職業選択の自由、宗教、思想・信条、表現の自由が憲法に明記されている今の時代に国家的イニシエーションが果たして必要なのか。
「国家的イニシエーションが果たして必要なのか」などという話ではありません。よく読んでいただければわかるように、卒業式における国歌・国旗の使用は基本的に相応しくない、というのがわたしの結論でした。ただ、あえていえば、義務教育だけは、個人がその社会において自立してゆけるための最小限の知識と能力をあたえることを目指す特別な国家的レベルの事業です。そのため、ワールドカップに参加する日本代表チームを日の丸を振って激励応援するように、義務教育の訓練を終えたユースたちを、みんなで日の丸を振って祝福し応援してあげるのも悪くない、とわたしには思われたのです。


おたより、ありがとうございました。