まず、「人間は死後については、それを知ろうとすることさえ無意味です。だから、ブッダはそのようなことについて何も語りませんでした。」とのくだりを考えたいと思います。

これは大きな誤解が生まれたところだと思います。正確に言うなれば「ブッダはマールンキャ・プッタ(弟子の一人)には語らなかった」というべきではないでしょうか。彼は修行よりも知的好奇心が強くいろいろなことをブッダにたずねます。死後の世界や霊界構造などを次々にたずねたときにブッダはそれに答えませんでした。それは当然のことで、彼の今やらなければならない修行ではなかったからです。ブッダがもしあの世や魂を否定しているなら「あの世も魂もないのだよ」と答えればすむことです。そもそももブッダがもしあの世や魂の存在を普段から否定しているなら弟子の質問は違ったものになっていたはずです。

文献で証明しているといてもどこにも証明はないんではありませんか。ブッダが直接「あの世も魂もない」といっている記述はどこかにあるのでしょうか。むしろいろいろなところで転生輪廻を語っていることのほうが多いはずです。

次に「日本の土着宗教の魂の考えをそのまま引きずって、仏教に持ち込みました。」のくだりですが、仏教が土着宗教の影響[を受けたこと]は当然たくさんありました。インドでは仏教の儀式はあまりなかったのですが、中国、日本と伝わるときにいろいろな儀式も加えられました。しかし、それが仏教で魂の存在を認めていなかった証明には少しもなっていません。両者に最初からあったとしても同じ結果になるからです。

次に「ブッダは、むしろ、死とは人間の終わりであり、そういうものだということをよく知って、生に執着すべきでないことを、教えています。」のくだりですが、ここも正確に言うなら、「死とは人間の終わりであり」とは言ってません。「死は必ず来る」と言っているのです。これは大事なところだと思います。ブッダが魂の存在を否定していたのなら当然ストレートに「死とは人間の終わりであり」といったでしょう。しかし、来世を信じているのでそういう言いまわしはしないはずです。ブッダの「生老病死」はあくまでも八正道に導くために説いていました。(四諦八正道)

またブッダがよく説いていた説法に「次第説法」があります。施論・戒論・生天論、すなわち、「よく布施をしなさいそして戒めを守りなさい。そうすればあなたは天国に帰ることができますよ。」という教えです。これをどう説明するのでしょうか。

もう一度まとめてみます。文献のどこにも魂やあの世の存在を否定してはいません。むしろ、魂やあの世があると考えなければ無理が生じる個所は仏典に無数にあるのではないでしょうか。ささやかな部分を強引に解釈し無霊魂説に持っていくほうが不自然だと思います。

高橋俊彦


(1)地域的慣習の持ち込み

少々誤解されているようなので、繰り返しますが、はじめに

ここでは、なぜ、巷では、しばしば仏教が「輪廻する魂」を教えているとおもわれているのか、それを考察したい・・・
と述べましたように、各地域のさまざまな土着思想が仏教に取り込まれている事情を指摘したのは、「仏教で魂の存在を認めていなかった証明」を示すためではありません。そうではなく、もともと原始仏教には永遠の魂の教えが無いのに、後のインドや日本などで、それが信じられるようになったとしても、不思議はない --- 前回、わたしが示そうとしたのは、そういうことでした。

この問題は、いままで、宗教家や仏教学者によってあまり取り上げられることのなかった問題ですが、わたしがとくに注目している問題なので、前回、取り上げたのです。今日、アメリカ人が仏教を学ぶ上で彼らが直面するひとつの問題があります。それは、日本やチベットから来たお坊さんが、アメリカ人に仏教を教えるつもりで、実は、日本やチベットの地域的慣習(土着思想)にすぎないものをも、仏教と一緒に教えることが多々ある事実です。先祖供養などを教えられて、「はたしてこれがブッダの思想なのか」とアメリカの求道者が疑問に思うのは当然です。日本でこの問題を最初に取り上げたのは富永仲基(1715-1746)だと思いますが、これは仏教を学ぶすべての人の直面する問題でもあります。インドやチベットや中国や日本などの地域的慣習に過ぎないものが仏教の名の下にたくさん取り入れられているからです。


(2)生天信仰について

チベットや中国や日本などの仏教の中には、それぞれの地域的慣習に過ぎないものが仏教の名の下にたくさん取り入れられていますが、また、インド自体の地域的慣習(土着思想)にすぎないものもたくさん混入しています。その典型がバラモン教・ヒンズー教の神々や天界や輪廻転生の信仰です。これらは、ブッダ自身が生み出した新しい思想ではなく、ブッダの思想の地域的時代的背景です。ブッダ自身は、「信仰を捨て去れ(muttasaddho, pamu‾ncassu saddham)」と説きました(スッタニパータ1146、マハーヴァッガ1の5の12、ディッガニカーヤ14の3の7など参照)。ブッダの思想とインドの民間信仰とは、後代になればなるほど、さまざまな形で混合しています。

初期の仏教教団では、教えの中心はニルヴァーナに達することであったが、在家の信者に対しては主として「生天」の教えが説かれた。道徳的に善い生活をしたら天に生まれるという教えである。施論・戒論・生天論の三つは在家信者に対する教えの三本柱であった。この天の原語はいろいろあるが、いずれも単数形でのみ用いられている。すなわち、天は一つであって、[後代に現れたような]天の細かな内容規定や、階層的な区別はなかったのである。誰でも能力に応じて布施を行い、道徳的に善であれば、死後に天におもむくとされたのである。この天の思想は、仏教独自のものではなく、当時のインドの一般民衆の信仰であって、仏教はそれを教義の中に取り入れたのである。ただ、仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、一般民衆は俗信のとおり、死後の理想郷に行かれると信じていたのであろう。・・・後世の大乗仏教における浄土の信仰は、この天の思想の発達した形である。浄土もまた、絶対的な境地を表現したものであり、彼岸とは完成を意味することばであったが、天の場合と同じく、一般民衆には、死後の理想郷と受け取られたのである。

(『仏教語大辞典』、東京書籍、昭和58年発行、979頁)

たとえば、インドラ(帝釈天)とかサラスヴァーティ(弁才天)などという名前の神々は、古代インドに侵入して支配者階級となったアーリヤ人のヴェーダ宗教(バラモン教)の神です。仏典に出てくる「三十三天」というのは、インドに持ち込んだ古代アーリヤ人のヴェーダ経典にあるものです。ヴェーダに出てくる神々の名前が古代イランの宗教ゾロアスター教に現れるのは、それらがイランに侵入した古代アーリヤ人の宗教から取り入れられたからです。

アーリヤ人がインドに持ち込んだ神々に対して、アーリヤ人が侵入してくる前から、インド(古代インダス文明)で信じられていた神々もあります。シヴァ(吉祥)神が有名です。オウム真理教事件で、教祖麻原が、殺人命令はシヴァ神の命令である、と正当化した、あのシヴァ神です。

シヴァ神は狂暴にして恐ろしい神性をもつ山の住人である。必殺の強弓を手にし、虎皮を纒い、山野を荒し廻り、熱病・咳病を武器として人畜を襲う。神々もかれを恐れる。

(中村元、『インド思想史』第二版、岩波全書、82頁)

インドに侵入したアーリヤ人のヴェーダ宗教(バラモン教)とインドの土着信仰は、バラモン達の制度的隔離政策(カースト制度)にもかかわらず、やがて混交し、後には、その境界がわからなくなってしまうほど混ざり合ってできた宗教が、ヒンズー教と呼ばれているものですが、この混交の歴史の中で新しく作られた神々もあります。たとえば、軍神スカンダ(韋駄天)や愛神カーマです。また、もともと神でなかったものがだんだん発展させられて、神になっていったものもあります。仏典にもときどき登場する、ブラフマン神(梵天)です。

ブラフマンはもともと神ではありませんでした。ヴェーダ経典は四つの部分からなっており、「祭祇の実行方法を規定し、あるいは讃歌・祭詞の意義・目的を釈し、祭祀の起源を明し」た部分が「ブラーフマナ(祭儀書)」と呼ばれていますが、ブラフマンはこの「ブラーフマナ(祭儀書)」と深くかかわっています。つまり、ブラフマンとは「もとは神聖で呪力にみちたヴェーダ語」のことだったわけですが、やがて、ヴェーダの哲学(ウパニシャッド)の発展のなかで、「世界の根本原理」という抽象的原理にまでも高められ、それが、後代の民間信仰の中で神格化されたのが、ブラフマン神(梵天)でした。(中村元、同上、第二章〜第五章)


(3)神々と仏教の戦略

仏教はこのようなインドの時代的地域的民間宗教の慣習の真っただ中でうまれた宗教でした。仏教に時代的地域的慣習が取り込まれるのは自然現象だと思いますが、仏教は無自覚的、盲目的にそれらを取り入れたのではありません。すでに「仏教における魂と神(3)」でも説明したように、それら仏典に登場させられる神々は、バラモン教・ヒンズー教の聖典に登場する神々と大きく異なっていて、ほとんど意味のない通行人程度の脇役でしかなく、それらの物語の構成は、神々が信仰の対象にならないような特別の仕掛けになっているからです。つまり、バラモン教・ヒンズー教にとっては、救済の拠り所であるところの神々は、仏典においては、いわば、完全に骨抜きにされて、救済にまったく必要のない、神としての内容を持たぬ、単なる飾り物的存在となって、修行者に質問したり、修行者を賛美したり、修行者に嘆願したり、あるいは悪魔となって修行者を誘惑するぐらいのものだからです。

これは、きわめて仏教らしいやり方だったと思います。ブッダは、聞く人々の状況にあわせて、教えの方法を変えたと言われています。何百年もつづく神々の宗教の慣習にどっぷりと使っている人々に対して、そんな神々など存在しないと言っても、「聞く者をますます混迷させるだけ」だからです。(マッジマニカーヤ72)ところが、仏教が広まり、いったん、神々などというものが人間にとってまったく必要のない「存在」であることが充分理解されるようになると、はっきり神々は存在しないと言われても混迷することがないし、また、いままでと同じように神々は存在すると言われても無害だからです。ウルトラマン大好きだった子供も、大きくなると、そんなものは実在しないと言われても、もう泣き出さないようなものです。


(4)アートマン(死後も存続する永遠の魂)の否定

仏教の無我(魂の否定)については、一緒にいただいたお便り(次頁)への応答にまとめました。