佐倉さん、はじめまして。私は団塊直前世代に属し、キリスト教神学の専門教育を受けた者です。といいましても、現在はクリスチャンではないです。

 このホームページの仏教とキリスト教に関する佐倉さんの文章をあらかた読ませていただきましたが、そこに見られる佐倉さんの整頓された分かりやすい論理展開に深い感銘を覚えました。聖書の矛盾記事に関する様々なご指摘を見ますと、ヘブライ語やギリシャ語の原典を経なくても、ちょっとした辞書や概論が二三横にあれば相当な発見ができるものだととても感心した次第です。

 ところで、聖書の矛盾記事につきましては、佐倉さんの挙げましたヨセフの物語そのものがヨセフ時代以前にすでにエジプトで流布していた物語であったことが考古学的な発見から分かっています。『禁忌の聖書学』(山本七平著)にそのことが詳しく書かれています。かつて学生時代に私が学んだところによりましても、ヨセフなる個人は存在せず、これはヨセフ族のことだということでした。イスラエル十二支族の各始祖の名前はもともとそれぞれの氏族の名前だったということです。

 ところで仏教に関して佐倉さんにいくつかの質問があります。ひとつはナーガールジュナの「空」についての記述で、原因と結果の相依性を、命題論理学の対偶律で示したところです。佐倉さんは原因から結果への一方的な論理を否定し、もともとP→Qには対偶として−Q→−Pもあって、その隠れた関係によってナーガールジュナは原因と結果の間の相依性を説いたのだと主張されました。その趣旨は、「結果から原因への反作用もありうる」というようなものと思いますが、これは原因・結果、過去・未来、親・子、右・左など、もともと相対的である二つの概念をそれぞれPやQと置いたために起きた誤りではないかと思います。

 たとえばPを「原因がある」、Qを「結果がある」とし、P→Qを「原因があれば結果がある」とします。この場合、P→Qの対偶が−Q→−Pであるため、これは「結果がなければ原因はない」という対偶命題になります。これだけを取ってみますと、なにやら結果が原因に作用を及ぼし、変更を加え得るように見えますが、それはそもそも原因と結果が相対概念だからでしょう。同じことは原因を「過去」、結果を「未来」に置き換えても言えます。例えば「過去があれば未来がある」「未来がなければ過去はない」という具合です。後者をみますと、なにやら未来が過去に作用し、過去に変更を加えることができるかのようです。ところがタイムマシーンでも手元になければ結果が原因に作用を及ぼすことはありえませんし、未来が過去を変更することもありえません。むろん対偶律がタイムマシーンの登場を予期して存在しているものである筈もありません。

 もし結果が原因を変更できず、未来が過去を変えられないとするなら、原因から結果への一方通行を否定し、わざわざ原因と結果の相依性を示すことになんの意味があるのか分かりません。つまり「原因があれば結果がある」を、対偶律で「結果がなければ原因はない」と言い換えたことには、単なる相対概念関係を超えるなんらの具体的な意味もないことになるわけです。そうしますと、佐倉さんが原因と結果との相依性をことさら強調されたことも余り意味がないのではないかと思われます。原因から結果への一方通行をわざわざ否定することに意味があるのは、結果から原因への反作用もありうる場合に限ります。

 もう一つの質問です。佐倉さんによれば、釈迦は「一切」を、感覚器官と感覚対象、心と心の作用のことであるとし、したがって感覚的経験の枠内で知り得る知識だけをもとに「縁起」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」を悟り、教えたのであって、「毒矢のたとえ」に見られるように、(世界の時間的・空間的有限無限性、生命と身体の同一非同一性、死後の存在非存在の問題などの)感覚的経験を超えた形而上学的な質問については「不確実だから無意味だ」として判断中止を求めたということですね。また、釈迦は、石は浮き上がらない、油は沈まないという事例を挙げて超越的な神力に依存する信仰を迷信として否定したということでした。また、釈迦は生老病死については、その克服する道として四諦と八正道を教えたとされていますが、「不死の門」とか「克服」とか「死の領域の彼方に至るであろう」とか「不死を得るための門は開かれた」と言いつつも、要するに生老病死については諦めを説いたわけです。つまり物理的克服ではなく、心理的受容です。これは一種の逃避ではないでしょうか?

 形而上学的問題への諦め、奇跡的救いへの諦め、生老病死への諦め、こういう具合に並べてみますと、釈迦の教えは現実世界の物理力に対する諦念の教えであるかのように見えます。また、佐倉さんが強調されたためか、釈迦の教えは宗教ではなく一種の「実践修身運動」に過ぎないようにも見えます。諦念の教えなど私にはとても生老病死に対する真の克服のようには見えません。

 ところで、宗教ならそもそも奇跡を求めても良いわけですし、各宗教や各宗派がそうであるように、釈迦が答えなかった無記の形而上学的諸問題についてもそれなりの教義の存在が許されます。もし上記の実践修身運動のようなものが釈迦の教えの真の内容だったとすれば、どうしてこれが仏教と呼ばれる「宗教」になり得たのか理解に苦しみます。

 とはいえ、釈迦が「アートマン」に対して「アンアートマン」を主張したのは、「アートマン」が形而上学的概念であるだけに、その否定も形而上学的なものにならざるを得ないと思います。「永存する我としてのアートマンはない」という判断は、もうそれだけで「永存するかしないか」という形而上学的問題に対する一つの判断です。それは釈迦が避けた「死後は存在するかしないか」という問題に匹敵する形而上学的問題への判断だと言っていいでしょう。釈迦がみずからの無記の原則を守ろうとするなら、「アートマンがあるかどうか分からない」「無我も有我も定かでない」と言うべきではなかったでしょうか?

 とりあえず仏教最大の課題である「生老病死」についてですが、諦念、諦めが先行してしまえば医学も科学も発展せず、したがって「病」「死」に対する克服可能性をはじめから否定することになります。また老化も最近はその原因が突き止められようとしており、それに成功すれば「老」の克服問題にも大きな前進がみられるようになる筈ですが、釈迦のようにはじめから「諦めてしまえ」というのでは、現代科学のこうした克服可能性まで拒否したことになります。「生」については、その苦しみは多くは社会的なものですのでそれなりの社会制度的な解決が必要なわけですが、そういう努力も釈迦の諦念の教えによって結局無視されるのではないでしょうか? 

 こういうふうに見てきますと、生老病死に対する釈迦の諦念の教えは、その真の克服を阻害する要因になりうるように見えます。

 さて、キリスト教においては残存する最古の福音書であるマルコ福音書によっても史実のイエスはもはや捉えられないという結果が聖書の文献批評学によって出されています。イエス没後およそ30数年後のマルコ福音書ですらそうです。仏教ではどうでしょうか?  仏教において残存する最古の経典は30数年どころか釈迦没後2百年以上も経っていて、そこにどれだけ史実の釈迦とその教えが記されているのかやはり定かではないと想像されます。そういうなかで自分の仏教を打ち立てたいとする者は、自分なりに経を選び、それに依存する他はないと思われます。大乗仏教の場合は大乗仏典、小乗仏教の場合は小乗仏典ということになりましょう。これらの経典は釈迦が語った体裁になっていますから、厳密にはすべて「偽書」だといえます。佐倉さんの場合、「死後」について解釈したある学者の現実路線の教えに感銘して、その方向で仏教や釈迦を解釈しているのではないでしょうか? 

 そもそも仏教は誰でも悟れば仏になり得るという思想です。キリスト教のように「神の一人子であるイエス・キリストだけが特別だ」という思想ではありません。だから釈迦が死に直面して弟子たちに「自己自身と法に従え」と遺言したのも、仏教からみれば当然のことだとも言えます。とすれば、仏教ではとくにどの宗派が正しいと言える根拠はどこにもないことになります。大乗仏教が正しいとか、真言宗が正しいとか、臨済宗が正しいとか、浄土真宗が正しいとか言えません。むろん佐倉さんがどれほど史実の釈迦の教えに近いとしても、佐倉さんが正しいとも言えなくなるわけです。

 それにしましても仏教の「アートマン」「アンアートマン」論争を見ていますと、ここでは永存するものでなければすべて夢・幻であるというふうに、永存するものだけがテーマにされているようです。しかし永存するものだけが客観的実在なのではありません。私の意識も私の身体も、宇宙のほんの一部としての地球上に、ほんのわずかな間だけ存在するにすぎませんが、それでも客観的に実在します。この私は「アートマン」とは全く関係なく存在するのですが、仏教では無我の思想を「アンアートマン」として形而上学的に捉えるために、私たち個々の真の現実である個人の客観的実在性には至りません。そして個々の個人の現実に対応するそのときそのときの世界の客観的実在性にも至りません。これは実に大きな問題だと思わざるを得ません。

 長々と続きましたが、これらの問題提起に対して佐倉さんが真摯に返答されることを信じております。なお私のホームページ「『信仰と知識』悩みの相談室」をご紹介します。どうか反論のためにもご参考ください。

http://www.interq.or.jp/uranus/chulhyun/


1.「結果から原因への反作用もありうる」?

佐倉さんは原因から結果への一方的な論理を否定し、もともとP→Qには対偶として−Q→−Pもあって、その隠れた関係によってナーガールジュナは原因と結果の間の相依性を説いたのだと主張されました。その趣旨は、「結果から原因への反作用もありうる」というようなものと思いますが、これは原因・結果、過去・未来、親・子、右・左など、もともと相対的である二つの概念をそれぞれPやQと置いたために起きた誤りではないかと思います。
「結果から原因への反作用もありうる」というようなことでは全然ありません。また、わたしは、「二つの概念をそれぞれPやQと置い」てもいません。PやQは命題であって名辞概念ではないからです。命題の論理値は<真>か<偽>かですが、名辞にはそんなものはないからです。「原因」とか「結果」とか「右」とか「左」など、名辞概念を「真か偽か」と問うのはナンセンスです。

仏教の縁起の思想を命題と命題の関係で表現すれば、原始仏典の場合「(P→Q)&(−P→−Q)」となり、(ナーガールジュナの場合は「(−Q→−P)&(−P→−Q)」となるということです。そのように分析してみると、原始仏典の縁起思想とナーガールジュナの縁起思想には違いはないことがわかる、というのがわたしの主張の眼目です。


2.「一方通行を否定し・・・相依性を示すとになんの意味があるのか」

もし結果が原因を変更できず、未来が過去を変えられないとするなら、原因から結果への一方通行を否定し、わざわざ原因と結果の相依性を示すことになんの意味があるのか分かりません。
そういう話ではありません。

日本における現代仏教学において、縁起思想をどのように解釈するかについて、ひとつの論争があるのです。その発端は、日本の近代的仏教学の父ともいえる宇井伯寿というひときわ著名な学者の研究にあります。縁起ということばは、「プラティーチャ・サムットパーダ」とか「イダンパッチャ」などというサンスクリットやそれに対応するパーリ語の訳なのですが、直訳すれば、「縁って起こる」「これに縁る」というぐらいの意味です。原始仏典に現われるこの言葉(「イダンパッチャ」)を宇井伯寿(『印度哲学研究』1926年)は「相依性」と訳したのです。論争の発端はここにあります。

宇井伯寿につづいて、和辻哲郎(『原始仏教の実践哲学』1927年)も「相依性」が縁起という言葉の本来の意味である、と主張しました。ここから、縁起とは「相依性」のことであるということがほぼ通説になるのですが、後の学者、たとえば中村元(『ナーガールジュナ』1980年)や藤田宏達(「原始仏教における因果思想」『仏教思想3:因果』)や三枝充悳(『初期仏教の思想』1978年)はその解釈を批判することになりました。その批判をひと言で言えば、ナーガールジュナについて言えば、縁起を「相依性」と言ってもよいが、原始仏典における縁起を「相依性」と解釈するのは間違っている、というものです。

原:Xが生起するとYが生起する。Xが生起しないとYが生起しない。(X->Y?)

ナ:Yが生起しないとXが生起しない。Xが生起しないとYが生起しない。(X<->Y?)

この、原始仏典における縁起とナーガールジュナの縁起の違いを、たとえば、中村元は前者を「一方向的」、後者を「双方向的」としたのです。わたしの縁起論はまさにこの現代仏教学の縁起解釈に対する批判なのです。つまり、わたしの主張は、この違いは見掛け上の違いであって、論理的に同値であり、どちらもまったく同じことを言っている、というものです。

つまり、わたしは、「一方通行を否定し・・・相依性を」主張しているのではありません。また、わたしは、ナーガールジュナが「一方通行を否定し・・・相依性を示し」たなどと主張しているのでもありません。そうではなく、

原始仏教の縁起では一方向的であったが、ナーガールジュナは逆方向性をそれに加えることによって、双方向性の新しい縁起の思想を展開した
という中村説に代表される現代仏教学の縁起解釈を「皮相的である」と批判しているのです。


3.諦念の教え?

形而上学的問題への諦め、奇跡的救いへの諦め、生老病死への諦め、こういう具合に並べてみますと、釈迦の教えは現実世界の物理力に対する諦念の教えであるかのように見えます。また、佐倉さんが強調されたためか、釈迦の教えは宗教ではなく一種の「実践修身運動」に過ぎないようにも見えます。諦念の教えなど私にはとても生老病死に対する真の克服のようには見えません。
ブッダのもっとも基本的な思想は縁起にあります。つまり、すべては縁起によって成立している(「これあることによってあれがある。これがないことによってあれがない」)、人間の悲しみや苦しみも例外ではない。それゆえに、悲しみや苦しみはそれを成立させている条件や原因を取り除くことによって、それを生じさせないことが出きる。そういう考えです。

無明(悲しみや苦しみを成立させている条件や原因に対する無知)が、仏教における克服すべき対象となり、覚り(無知からの解放)が仏教実践の重大事にされるのも、まさに、この縁起思想が仏教の基本思想だからです。

ブッダは人間の認識の届かない領域に関する問題には答えなかったと仏典は書き残しています。「役に立たない」というのがその理由です。なぜ役に立たないのでしょうか。縁起思想が仏教の基本思想であることを考えれば、その解答は明らかです。つまり、悲しみや苦しみを成立させている条件や原因に対する無知を克服するには知識が求められているのに、人間の認識の届かない領域に関する空想は知識ではないからです。知識でなければ無知の克服にはならないのです。

信仰宗教というものは縁起思想とはまったく別の方法を提示します。すなわち、神(々)という人間の力を越えた超能力者(たち)の存在を想定して、祈ったり犠牲を捧げたりしてその超能力者(たち)の好意を勝ち取り、その超能力者(たち)に救ってもらおう、という奇跡による解決方法です。

つまり、信仰宗教は、人間の合理的知識や努力を諦めて、存在するかどうかわからないあやしげな神々の奇跡に依存することを教え、ブッダはあくまでも人間の合理的な知識と努力に問題の解決をもとめたわけです。ブッダが信仰宗教を否定したのは当然といえるでしょう。


4.なぜ仏教は宗教になったのか

ところで、宗教ならそもそも奇跡を求めても良いわけですし、各宗教や各宗派がそうであるように、釈迦が答えなかった無記の形而上学的諸問題についてもそれなりの教義の存在が許されます。もし上記の実践修身運動のようなものが釈迦の教えの真の内容だったとすれば、どうしてこれが仏教と呼ばれる「宗教」になり得たのか理解に苦しみます。
人間というものはすぐに過去の人間を理想化し、超人化し、宗教を作りあげます。たとえば、日本全国にはいたるところに天神様と呼ばれる神社があります。わたしの生まれ育った岡山の小さな山村にもありました。天神様が祭っている神は菅原道真という昔の官僚の一人です。道真はその勤勉によって重要な官僚の位置についたという話から、天神様は今日では「受験の神様」として有名です。天神様に参って、いくらかの賽銭をささげ、祈り、受験に合格させてもらおうという受験生やその親達で、天神様は毎年にぎわいます。

ひとにぎりのユダヤ人たちは二千年ほどまえに大工の息子を神様に仕立て上げました。オウムの麻原教祖も、幸福の科学の大川教祖も神様になりました。人間ならまだしも、イワシの頭さえ信仰の対象になります。人間というものがすぐに自分の救いに都合のよい神像を造りたがるのは昔も今も変わりません。ましてやブッダのような人物が神格化されても、別に不思議なことはありません。

むしろ驚くべきことは、ブッダが神に祭り上げられ、仏教が宗教になりさがりながらも、それでも、殺仏殺祖、すなわち、「仏に会ったら仏を殺せ、祖師にあったら祖師を殺せ」(仏教を宗教にしてはならない)というような教えが、そのなかで今日までちゃんと伝えられてきたという事実です。


5.無我の思想は形而上学的判断か

釈迦が「アートマン」に対して「アンアートマン」を主張したのは、「アートマン」が形而上学的概念であるだけに、その否定も形而上学的なものにならざるを得ないと思います。「永存する我としてのアートマンはない」という判断は、もうそれだけで「永存するかしないか」という形而上学的問題に対する一つの判断です。それは釈迦が避けた「死後は存在するかしないか」という問題に匹敵する形而上学的問題への判断だと言っていいでしょう。釈迦がみずからの無記の原則を守ろうとするなら、「アートマンがあるかどうか分からない」「無我も有我も定かでない」と言うべきではなかったでしょうか?
これは、どう考えても、わたしの無我論に対する意見ではありません。おそらく、わたしの無我論を全然読まれなかったか、仏教の無我論に関する既成概念がKimさんの頭の中ですでに固まっていて、わたしも同じことを主張しているのだろうと安易に思い込まれたかのどちらかでしょう。

「アートマンはある」という意見に対して、同じ土俵で、「アートマンはない」と言ったのなら、もちろん、おっしゃるように、仏教のアートマン批判は「形而上学的なものにならざるを得ない」でしょう。ところが、一般に信じられていることとは裏腹に、仏典における無我の思想はそんな間抜けなことをしていない、というのがわたしの無我論の眼目です。

この問題に関しては、笠原祥さんとの一連のやり取りも参照してください。

99年7月27日「釈迦はアートマンを否定したか?」 99年8月04日「釈迦はアートマンを否定したか?(2)」 99年8月14日「釈迦はアートマンを否定したか?(3)


6.史的イエスと史的ブッダ

さて、キリスト教においては残存する最古の福音書であるマルコ福音書によっても史実のイエスはもはや捉えられないという結果が聖書の文献批評学によって出されています。イエス没後およそ30数年後のマルコ福音書ですらそうです。仏教ではどうでしょうか?
「史実のイエスはもはや捉えられないという結果が聖書の文献批評学によって出されています」というのは、おそらく、ブルトマンの「史的イエスと信仰のキリスト」神学論争以後の事を言われているのだと思いますが、それはもう一昔前(50〜70年代)の話ではないでしょうか。最近見るのは圧倒的に「史的イエス」の復活です。米国のイエス・セミナー(80年代)の学者たちをはじめとして、ジョン・マイヤーの『A MARGINAL JEW: RETHINKING THE HISTORICAL JESUS』(1991年)や田川建三の『イエスという男:逆説的反抗者の生と死』(1980初刷、1998年再刷)などはその代表的なものでしょう。

マイヤーによれば、「史的イエスは知り得ない」という考えは、「史的イエス」と「実際のイエス」の区別をしない混乱した考えであり、田川建三の言葉で言えば「いわゆる客観性では、歴史は捉えられない」ということになります。

確かに、福音書の個々の伝承で描かれた場面は伝承者や編集者の主観が描き出した像であるにせよ、そしてそれらはたいていの場合、彼らの護教論的意図のつくり出した像だから、そのまま信用するわけにはいかないのだが、だからと言って、イエスの発言が歴史的状況の存在しない宙空でなされた、なんぞということはありえないので、個々の場面が正確に伝えられているかいないかは別として、歴史的状況の中で語られた、というのは確かなのである。・・・いわゆる歴史的大状況はもちろんのこと、もっと小さな状況も、たとえば今扱った「祈り」についてのイエスの発言について言えば、「祈り」が当時のユダヤ社会でどのように祈られ、どのような社会的位置づけを持っていたか、というようなことは知っているのである。・・・だから我々は、イエスについての個々の伝承を歴史的な場の中へもどしながらとらえていく。魚を水に戻すように。それは歴史的想像力の問題である。そして、はっきり言っておくが、歴史的想像力は、決して、歴史家の勝手な主観の持ち込みというようなものではない。それはもはや、主観・客観という軸からではふれることのできない課題、歴史的真実にどのように肉薄できるか、という課題なのである。

(田川建三、『イエスという男:逆説的反抗者の生と死』、27〜29頁)

同様なことは、「史的ソクラテス」についても、「史的ブッダ」についても言えるでしょう。しかし、哲学者や仏教徒にとっての「史的ソクラテス」や「史的ブッダ」と、キリスト者にとっての「史的イエス」との間には根本的な違いがあると思われます。それは、キリスト者にとってはイエスという人物そのもの -- その生と死 -- が本質的に大切であるのに比べて、哲学者や仏教徒にとっての「史的ソクラテス」や「史的ブッダ」は、本質的なものではないからです。

たとえば、ソクラテスが実在人物ではなく、プラトンの創作上のなかの登場人物であったとしても、そのソクラテスの哲学の価値は一つも減るものではないように、ブッダが実在の人物ではなく、仏教徒たちの経典創作上の人物だとしても、ブッダとして語られている思想の価値は一つも減ることはありません。だから、大乗仏典などブッダの死後数百年後にブッダの教えとして平気で書かれたりします。しかし、イエスの場合は、もちろん、思想と言えるほどのものは何もないということもありますが、何よりも、イエスその人が、キリスト者にとって救済の根拠です。イエスが実在の人物でないということになったら、キリスト教は崩壊します。

キリスト者にとってのイエスと違って、仏教徒にとってのブッダは、たとえかれが歴史的実在でなくてもまったく構わないのです。ブッダは救済者ではないからです。仏教徒にとってブッダは必要ではありません。

ドータかよ。わたくしは世間のいかなる疑惑者も解脱させえないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。(スッタニパータ、1064)

わが弟子の中には、あるものは涅槃に至ることを得、またある者はいたることを得ないが、それを、婆羅門よ、わたしがどうすることができようか。婆羅門よ、如来はただ道を教えるのである。(マッジマニカーヤ、107)

如来が世に生じても、生じなくても、縁起は確立している。(サンユッタニカーヤ、12:20)

縁起を見る者は理法を見る。理法を見る者は縁起を見る。(マッジマニカーヤ、30)

理法を知り、理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。(スッタニパータ、「彼岸に至る道」)

仏教においては、超人や神々の異常な力によって救われることを期待するのではなく、真理を知ることによって自らを救うのです。


7.仏教では何が正しいかはいえない?

そもそも仏教は誰でも悟れば仏になり得るという思想です。キリスト教のように「神の一人子であるイエス・キリストだけが特別だ」という思想ではありません。だから釈迦が死に直面して弟子たちに「自己自身と法に従え」と遺言したのも、仏教からみれば当然のことだとも言えます。とすれば、仏教ではとくにどの宗派が正しいと言える根拠はどこにもないことになります。
たとえば、ある宗派が「この仏典においてブッダはこう言っている」という主張をするとき、本当にその仏典にそのように書かれていれば、その主張は正しいことが判明します。単なる個人の思い込みと違って、仏典の存在やその内容は、人間の認識の届く領域内のものだからです。

一般に、主張というものが、単なる個人の思い込みではなく、人間の認識の届く領域内に関するものである限り、それが正しいかどうかを判断する根拠があり得ます。誰でもアクセスして調べることができるからです。「正しいといえる根拠はどこにもない」のは、むしろ、「神」とか「神の子」とか「天使」とか「天国」とか「魂」とか「霊界」とか「死後の世界」等々、いわゆる宗教的信仰の対象となっている事柄、人間の認識の届かない領域に関する主張がなされるときです。それは、第三者がアクセスして調べることができないもの、つまり単なる個人の思い込みにすぎないからです。


8.「永存するものだけが客観的実在」とするのが仏教?

それにしましても仏教の「アートマン」「アンアートマン」論争を見ていますと、ここでは永存するものでなければすべて夢・幻であるというふうに、永存するものだけがテーマにされているようです。しかし永存するものだけが客観的実在なのではありません・・・。
「すべて夢・幻である」というのは、見渡すかぎり、すべては無常、常住なるものはない、すべては変滅する、それが真実の姿である、ということで、それが仏教の主張です。したがって、「永存するものだけが客観的実在」などといっているわけではありません。むしろ逆に、見渡すかぎり、どこを見ても、すべてはさまざまな依存関係によって、変滅するものだから、<神>や<魂>や<自性>のような「不変の実体」「自存の実体」は、真実の姿ではなく、人間の空想がつくりあげた思い込みにすぎない、というのが仏教の主張と言えるでしょう。

それから、ついでに言っておきますと、仏教の存在論ははじめから認識論を含意したもので、認識論から離れた存在論、すなわち「客観的実在」などという素朴実在論の概念は、仏教とは無縁です。

[認識方法と認識対象の]二つは自立的に存在しない。もし認識方法とその対象との二つが本体[実体]として存在しているなら、認識方法[がある]、認識対象[がある]などと言われることもできよう。しかるに、[相互に]依存して存在しているということは相互に成立させあうという意味であって、それは自立的存在[客観的実在]ではないのである。

(ナーガールジュナ、梶山訳、『ヴァイダルヤ論』、2)

仏教でいう法(dharma)は自然界においても人間界においても現実に妥当する構成のことであり、実体ではなく、現象である。・・・仏教は素朴な実在論に対する批判という点で長足の進歩を遂げるが、まさにこの点に仏教の哲学的独創性がある。仏教でいう縁起説は、インド思想を一挙に革新的18世紀のヨーロッパ思想と同水準にしてしまう。

(マッソン・ウルセル、渡辺重郎訳、『ヨーガ』、31頁、未見)