現代のクリスチャンの多くが、イエスを神と信じるのは、聖書を根拠としてではなく、そのような伝承を受け継いだ人たち(神学者や教会の牧師たち)に教えられたことを、そのまま無批判的に受け継いでいるにすぎません。とくに、かつてのローマ帝国がそうであったように、人間(天皇)を神と信じる土着宗教のある文化圏(日本)では、比較的無批判的に受け入れられる伝承だろうと思います。
上記が本当であればどうして日本人のクリスチャン人口はマンネン1%程度なの でしょうか?

天皇制のない他の多くの国々の方がイエスを受け入れていると思うのですが。 何だか特定の日本人を馬鹿にする(?)目的で書かれたように思えてなりませ ん。

いかがでしょうか?

                 


近代および現代の日本人の大多数がキリスト教を受け入れないのは、様々な理由があると思いますが、ここで、わたしが指摘しているのは、「イエスを受け入れる」かどうかについてではなく、「イエスを神としてあがめる」かどうかについてです。イエスを「神が使わした救い主」として受け入れることと、イエスを「神自身」として受け入れることとは別のことだからです。わたしが指摘したのは、いったんクリスチャンになれば、日本人ならば、「イエスは神である」と言われても、おそらくさほどの抵抗は感じないであろう、ということです。

キリスト教は、イエスを救い主と認めても、神そのものとして認めないものは異端者として追放しました。ローマ皇帝コンスタンチヌスは西暦333年に、そのような異端者の書物はすべてやきすてること、またそれを隠して所持していることが発覚したら「ただちに死刑にする」と勅令を出しています。それは大問題だったわけです。しかし、日本のキリスト教史において、「イエスは神であるかどうか」を神学的大問題にした事件があったでしょうか。むしろ、そのような問題はすでに解決されたものとして西欧型キリスト教をそのまま安易に受け入れたか、そのようなことが問題であることさえも知らないか、そのどちらかではないでしょうか。日本では、「イエスという人間は神である」といわれたときでも、それを問題と感じる人は比較的少ないであろう、と指摘したわけです。

しかし、わたしの予想は間違っているかもしれません。日本人の読者の方で、クリスチャンとして、イエスが神であるかどうかという問題に苦しんだことのある人はぜひメールください。