初めまして、柳澤と申します。
今日、ホームページを一部拝見させていただきました。その中の「聖書の間違い 」の「はじめに」の「方法論」の所で、
「すべてのカラスは黒い」という主張が「真」であることを証明するためには、 過去のすべてのカラス、全世界のすべてのカラス、未来のすべてのカラス、それら すべてのカラスの色についての知識が必要です。そうすると、有限な人間には、そ れが「真」であることを証明することは不可能であることがわかります。ところが 、その主張の「真」であることは証明不可能であっても、「偽」であることは証明 可能です。たった一匹の黒くないカラスを誰かが見つければよいからです。と、お書きになっていらっしゃるのですが、一体「有限な人間」の内の*誰が*「 たった一匹の黒くないカラス」を見つけられるのですか?見つけることが出来ると いう証明は出来ないのでは無いでしょうか?従って、これは反証の材料にはならな いと私は思います。
ですから、この部分は即刻、別の説得力のあるものに交換された方がよろしいか と思われます。そうしないと、他の部分の信憑性も欠けてしまうような気がするか らです。
勝手ながら、ご忠告まで。それでは、失礼いたします。
ご忠告、大歓迎です。
一体「有限な人間」の内の*誰が*「たった一匹の黒くないカラス」を見つけられるのですか?見つけることが出来るという証明は出来ないのでは無いでしょうか?従って、これは反証の材料にはならないと私は思います。確かに、「見つけることが出来るという証明は出来ない」というのは、おっしゃるとおりです。しかし、わたしが主張しているのは、それが見つかる保障ではなくて、それが見つかる可能性です。そして、もし、黒くないカラスが一匹でも見つかれば、「カラスはすべて黒い」という主張は反証されたことになる、 ということです。
もし、聖書に間違いがあることを見つける保障が始めからあれば、聖書を吟味する必要もなく「聖書はすべて正しい」という主張が間違っていることがすでに証明されたことになります。当然のことですが、わたしは、聖書を吟味しなくても、聖書に間違いがあることを証明できるとは考えていません。見つかる保障ではなく可能性があるから、聖書の吟味をするのです。
ご忠告、ありがとうございました。